中国・四国・九州のトンネル

2012年10月 2日 (火)

韓国経済界の一部が日韓海底トンネルの建設を望んでいるそうです

平成20年8月22日の記事では、戦前・戦中に日本により計画されたものの結局実現する事は無かった対馬海峡横断海底トンネルの建設計画を紹介しましたが、何とこの計画、戦後六十有余年経った現在も、まだ完全に消滅してはいなかったようです。
しかも、日本ではなく韓国側が、この計画を推進したがっているようです。
以下は、日本最大の中国情報サイト「サーチナ」が9月26日に配信した記事からの転載です。

 

韓国経済界、「日韓海底トンネル建設を再開しよう」=韓国

韓国全国経済人連合会の朴三求(パク・サムグ)委員長は26日、ソウル市内で開かれた「観光産業特別委員会」であいさつし、韓国と中国、韓国と日本をそれぞれ結ぶ海底トンネルを建設し、観光客を誘致する必要があると述べた。複数の韓国メディアが報じた。
朴氏は、外国人観光客の50%を超える中国と日本の観光客をさらに取り込むためには、海底トンネルの建設などに対する論議を再開すべきと述べた。
朴氏は、「観光産業は経済が低迷する時に内需を活性化し、雇用を創出する最善の策」と述べ、韓国国内の観光商品の質を向上させるため、国立公園のケーブルカー設置といった観光インフラの整備や、サマータイム制の導入などを積極的に検討する必要があるとした。
一方、同委員会に出席した崔光植(チェ・グァンシク)韓国文化体育観光部長官は、韓国の国内観光の比重は先進国よりも低いと指摘。企業に対し、社員が自由に休暇をとれる環境作りや旅行プログラムの運用など、国内観光の活性化に協力するよう求めた。(編集担当:新川悠)

 

以下は、この件の関連サイトです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E9%9F%93%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB
http://hamusoku.com/archives/7473738.html

 

日本側の反応としては、私がネットで見た限りでは、「韓国とトンネルと繋がる? 考えただけで嫌だ!」「日本に百害あって一利なし」「ふざけるな!!!断固拒否!こっちに寄って来るな!」など、概ね反対意見で一致しているという印象を受けます。
私としても、国論が反日でほぼ統一されている国(心情としては例え個人的に親日であったとしてもそれを公の場で堂々と言う事は許されない国)が、あえて日本に接近したがるのは理解し難いです。

もし将来、南北朝鮮が統一されたとしたら、その時は北朝鮮側から大量の難民が発生する事態は避けられないでしょうし、そして、朝鮮半島に統一国家が誕生するという事は、今以上にウンザリする程の巨大な反日国家が誕生するという事ですから、それを思うと、私としても、日韓を直結する海底トンネルの存在は、正直言って有難いものとは思えないです。

 

日韓両国の事情を考えると現時点では荒唐無稽ともいえるこの計画が、直ちに実現に向かって動き出すとは到底思えませんが、それでも、ロシアの一部勢力(主にサハリン州)が建設を計画している、日露を直結する宗谷海峡大橋の構想と共に、この日韓海底トンネルについても今後の動向には注視していこうと思います。
ちなみに、宗谷海峡大橋の計画については以下の記事で詳しく紹介させて頂きましたので、興味のある方は御参照下さい。
http://bridgelove.exblog.jp/8401452/
http://bridgelove.exblog.jp/8892513/
http://bridgelove.exblog.jp/9043939/

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2010年6月14日 (月)

熊本電鉄唯一のトンネル

先月、旅行で九州北部(福岡・久留米・熊本など)を訪ねた際、熊本市内では熊本電鉄の電車に乗ってきたのですが、この電車の沿線風景には“いかにも昭和”という感じの情緒が色濃く残っていて、レトロ好きな私としてはなかなか面白かったです。

下の写真は、その時に私が乗った上熊本行きの電車の前面(運転席のすぐ後ろ)から撮影した、トンネルに入る直前の風景です。このトンネルは池田~打越間にあり、熊本電鉄では唯一のトンネルでもあります。
単線用の幅狭なトンネル、木製の架線柱、路盤に生えている草など、この写真に写っている風景もまた、大都市の住宅街にしてはかなり古風な情景でした。

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2010年5月26日 (水)

熊本城本丸御殿の地下通路

先週、旅行で九州北部(福岡・久留米・熊本)方面を訪れた際、熊本のランドマークでもある熊本城を見学してきました。
時間の都合により今回は天守閣へは上りませんでしたが、3年前に熊本城を見学した時(その時は天守閣に上りました)は復元工事中だった本丸御殿が完成していたので、今回は本丸御殿の中を見学してきました。

2,951平方メートルもの広大な延床面積を誇る本丸御殿(ちなみに復元工事の総事業費は約54億円)の中心となっているのは巨大な「大広間」で、特に、大広間の一画を構成している最高格式の部屋「昭君の間」は、華麗な天井画や襖絵で煌びやかに装飾されていて、本丸御殿の最大の見所となっているのですが、私が、その「昭君の間」と共に特に印象に残ったのは、本丸御殿の地下通路です。
シャッター速度を遅くして撮影したためちょっとブレていますが、下の写真がその地下通路です。

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本丸御殿の床下にあるこの通路は「闇(くらが)り通路」とも云われ、両側は、白く漆喰の目地を施した石垣で囲まれており、本丸御殿への正式な入口である玄関があった通路でもありました。ですから、お国入りする殿様も必ず歩いていた通路なのです。
このような地下通路は他の城郭には類例が無いそうで、とても貴重なものだそうです。

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2009年7月26日 (日)

関門人道トンネルの記念スタンプ

昨年4月11日の記事では、本州と九州を結ぶ関門海峡の海底下にある「関門人道トンネル」を紹介させて頂きましたが、昨日家で自分の部屋を整理していた時、その関門人道トンネルをくぐった際(平成18年3月)に同トンネルの両入口エレベーターホールでそれぞれ押してきたスタンプを見つけたので、以下に、そのスタンプの専用台紙の画像を貼らせて頂きます。
下関市側と北九州市側にそれぞれ設置されているスタンプを押すと合体して円形になるという、ユニークなアイディアが採用されているスタンプです。

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ちなみに、私がこの関門人道トンネルを通行した時、北九州側の入口はやや不便な場所にありましたが、現在は、平成筑豊鉄道門司港レトロ観光線(鹿児島本線の貨物支線跡を再利用して今年4月に開業したばかりの鉄道)の「関門海峡めかり駅」(九州最北端の駅でもあります)がすぐ近くにあり、関門人道トンネルの入口までは同駅から歩いて行く事ができます。
但し、春休み及び夏休み期間中以外は土曜・日曜・祝日のみしか運転されていないようなので、同線の列車に乗る場合は運転日に御注意下さい。

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2009年1月29日 (木)

関門鉄道トンネル

関門海峡を横断して本州(山口県下関市)と九州(福岡県北九州市)を陸路で結ぶルートとしては、昨年5月19日の記事で紹介させて頂いた「関門国道トンネル」や、昨年4月11日の記事で紹介させて頂いた「関門人道トンネル」などがありますが、実際にはこの2本以外にも、まだ下関と北九州を陸路で連絡しているルートがあります。
在来線の鉄道が走る、山陽本線の一部である「関門鉄道トンネル」と、山陽新幹線の「新関門トンネル」、そして、高速道路の一部として、関門海峡を跨いで建設された全長約1.7kmの吊橋「関門橋」です。
今日は、これらの複数のルートのうち、「関門鉄道トンネル」(下図参照)を紹介させて頂きます。

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関門鉄道トンネルは、明治40年に、初代鉄道院総裁であった後藤新平が本州と九州を鉄道橋で繋ぐ事を発案したのがきっかけとなって、建設が具体的に検討されるようになりました。
その後、軍事的にも経済的にも有利な方法として、橋ではなくトンネルでの連絡路の建設が決定し、大正8年には初めてボーリングによる地質調査も行われました。しかし、関東大震災による影響などで暫くの間は計画が凍結され、実際にトンネルの建設が始まったのは、後藤新平の発案から約30年も経った昭和11年9月でした。

昭和14年4月に、何度も切羽が崩壊して大量の異常出水に見舞われるなどしながらも、まず先進導坑(地質調査・試作・工事の促進等を兼ねて本坑より先に建設される小さなトンネルで、開通後は本坑の作業坑としても活用されます)が貫通し、この先進導坑の施工で得られた貴重なデータを基に本坑の施工方法が何度も論議され、結局本坑は、下関側からは通常の発破工法である山岳トンネル工法で掘られたのですが、北九州側では、その極端な地山条件の悪さから山岳トンネル工法は無理と判断され、北九州側からは当時としては最先端技術であったシールド工法が日本で初めて採用されました。
また、海峡中央部は、先進導坑の掘削経験から地質が不良で湧水が多い事も分かっていたため、先進導坑から本坑にセメントを注入しながらトンネルの周辺地山を固めて掘削されました。

このような、多大な苦労や危険を経て昭和16年7月に、下り線の本坑(3,614m)が貫通し、そして、既に戦争が本格的に始まっていた昭和17年7月に、世界初の鉄道海底トンネルとして、下り線に一番列車が走って営業運転を開始しました。
山頂にある神社仏閣への参拝を主な目的として山岳地に建設されていた全国各地のケーブルカーや、その他一部の鉄道などは、この時期、戦争遂行とは無関係な不要路線として次々と廃止させられ、敷設されていたレールはほとんどが取り外されて軍需品へと転用されましたが、関門鉄道トンネルは、軍事物資の輸送という目的もあったため、戦争中でも工事は継続され、戦争中に開業を迎えたのでした。
関門鉄道トンネルの開業によって初めて本州と九州が一つに繋がった事から、当時は日本中がこのトンネルの開通に喜び沸きかえったそうです。

上り線の本坑(3,605m)は、戦争末期の昭和19年9月に完成し、これにより関門鉄道トンネルは複線となりました。上り線、下り線共にトンネルの内径は7mで、海底部分は1,140mあります。
関門国道トンネル、関門人道トンネル、新関門トンネルなどはいずれも戦後開通しているため、関門鉄道トンネルは、関門海峡の下を通るそれら海底トンネルの先駆けともなった、日本の土木建設史に於いても記念すべきトンネルといえます。

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上の写真は、昨年10月に群馬県安中市にある鉄道テーマパーク「碓氷峠鉄道文化むら」に行ってきた際に撮影してきた、園内に静態保存されていた、関門トンネルを走る列車の牽引専用機として造られた交直両用電気機関車「EF30」です。
本州と関門鉄道トンネル内の路線は直流1,500V、九州側の路線は交流20,000Vでそれぞれ電化されているため、EF30は交直の切替が車上でできる構造となっており、また、海水による塩害腐食を防ぐため当時としは珍しいステンレス車体が採用されていました。
本州と九州の掛け橋として活躍した機関車でしたが、現在は後継機の「EF81」に置き換えられ、EF30は全機が廃車となっています。

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2008年8月22日 (金)

九州と朝鮮半島を連絡する、幻の対馬海峡横断海底トンネル

日中戦争のさなかの昭和10年代後半、「日本と大陸との間に画期的な新交通路を開くべき。東京~下関間に、在来線(従来の狭軌)とは別に新しい鉄道(標準軌)を建設して最高時速200km以上の高速列車を走らせ、更に九州と朝鮮半島を海底トンネルで結び、東京と大陸の主要都市(とりあえずは北京を想定)を直通の高速列車で結ぶべき」という、所謂「弾丸列車計画」が持ち上がりました。

これは、当時、日本国内の輸送力が決定的に不足していて、特に陸上輸送の大動脈というべき東海道・山陽両本線の酷さは目を覆うばかりで、戦時中の輸送力不足はそのまま敗戦にも繋がる大問題とされたために持ち上がった計画で、計画では、下関から先は佐賀県まで南下して、同県唐津付近から対馬を経て韓国の釜山へと入り、釜山からは既設の標準軌の路線に乗り入れて漢城などを経由して北京へと至る、とされました(下の地図参照)。

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一見夢物語のようにも思える壮大なプランですが、しかし、この弾丸列車計画のうち「新幹線計画」と呼ばれた東京~下関の新線建設については、昭和15年3月、第75回帝国議会で5億5000万円に上る予算が成立し、工期は15年で建設するとされ、実現へ向けて既に第一歩を踏み出していました。

東京~下関間約1000kmの所用時間は9時間、東京~大阪間は4時間半とされ(昭和5年頃、在来線では約8時間20分もかかっていました)、始点と終点を含めて19の駅を設ける案が採用され、実際、昭和16年には新丹那トンネル、日本坂トンネル、新東山トンネルの建設工事も始まりました。
そして、空中写真測量を行うなどして昭和18年3月までに、全線の約8割に及ぶルートが決まり、用地買収も約160km分まで進んでいたのです。また「弾丸列車」用の高速高性能機関車(直径2.3mの巨大な動輪を持つ蒸気機関車HD53や、HEH50などの電気機関車3種、計8種類)の設計や、客車の基準寸法の調査なども行われていました。

この「弾丸列車計画」は、戦争の激化によって結局頓挫する事になりましたが、しかしこの時行われたルートの選定、技術開発、用地買収、トンネル工事などは、東海道新幹線の建設にそのまま役立つ事になり、東海道新幹線の路線の約18%に当たる100km分は、弾丸列車計画時に買収された用地を利用しています。
また、東海道新幹線の起工時点で、「弾丸列車計画」の一部として建設されていた日本坂トンネル(2174m)は既に貫通しており、新丹那トンネル(7958m)も熱海側647m、函南側2080mが掘削済みで、これらのトンネルは東海道新幹線の路線の一部としてそのまま転用されました。

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ところで、弾丸列車計画を進める上で最も大きな障害の一つと考えられていたのが、高速列車をどのようにして、九州と朝鮮半島とを隔てる海峡を横断させるかという問題で、当初は連絡船での輸送が予定されていたのですが、やはり列車を直通させるためには海底トンネルの建設が不可避と判断され、このため対馬海峡の海底トンネルについては、測量やトンネル掘削法の研究、一部地区での地質調査も行わました。
ただ、佐賀県唐津付近~対馬までの対馬海峡(東水道)については技術的にも通常の海底トンネルの掘削が可能とされたのですが、水深200mを超える対馬~釜山間の対馬海峡(西水道)54kmについては、通常の海底トンネルの建設は困難とされ、そこで考えられたのが、上の図のように、海底に橋梁をいくつも並べてトンネルを建設するという案でした。

しかし、魚雷攻撃を心配した陸軍の反対もあって、結局はこの区間にも通常の海底トンネルを建設する計画案が採用されました。勿論、現在に至るまで実現はしていませんが。

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2008年5月19日 (月)

関門国道トンネル

私は4月11日の記事で、「関門人道トンネル」を通って徒歩で関門海峡(本州~九州間)を横断してきた事を紹介させて頂きましたが、その数年前(多分今から8年近く前)には、「関門国道トンネル」をバイクで走って同海峡を横断した事があります。

そもそも、関門国道トンネルと関門人道トンネルは全く別のトンネルとして造られたものではなく、2層構造になっていてその内部で分離している一体構造のトンネルであり、そのため両トンネルのルートは完全に重複し、トンネルの出入口となる箇所だけが異なっています(人道トンネルの出入口はエレベーターです)。

関門国道トンネルは、国道2号線の一部で、距離は約3.5km(うち海底部分は約0.8km)あり、本州側の坑門と料金所は山口県下関市椋野町2丁目にあり、九州側の坑門と料金所は福岡県北九州市門司区東門司1丁目にあります。ちなみに、料金所では、普通車の場合は150円、大型車の場合は250円徴収されます。
下の写真が下関側の料金所で、このすぐ先に、関門国道トンネルの本州側の坑門があります。

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下の写真は、関門国道トンネルを本州から九州に向かってバイクで走り終えた直後、九州側の坑門を撮った写真です。
このように、九州側の坑門には大きな口を開けたフグの絵が描かれ、またトンネル内は、この写真からも分かるように片側1車線、上下で全2車線となっています。
写っているバイクは、当時私が乗っていたバイク(ホンダのゼルビス)で、九州側は、このトンネルをくぐり終えるとすぐに市街地が広がっていました。

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ちなみに、関門海峡に初めて造られたトンネルは、戦時中の昭和17年に開業した関門鉄道トンネルで、国道及び人道トンネルは、トンネルの掘削には適さない地質があったり、戦争のため資材不足に陥るなどして工事が難航したため、トンネル工事に着工したのは戦前の昭和12年でしたが、実際に完成したのはその21年後の昭和33年でした。

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2008年5月10日 (土)

アストラムラインの地下軌道

昨日の朝、旅先の広島市内で、アストラムラインという新交通システムに乗って来ました。
新交通システムとは、従来の鉄道とは異なった方式による軌条式中小量輸送システムの事で、一般には、東京の「ゆりかもめ」や「日暮里・舎人ライナー」、神戸市の「ポートライナー」や「六甲ライナー」、大阪市の「ニュートラム」のように、ゴムタイヤで高架の専用軌道を走る交通機関の事をいいます(厳密な定義はちょっと違いますが)。

広島市内にも「アストラムライン」という新交通システムが走っており、路線は18.4km、駅数21で、その路線の大部分は高架なのですが、都心の一部区間は地下鉄のように地下軌道となっています。

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上の写真は、地下線(トンネル)区間を走行中の車内(乗務員室のすぐ後)から正面を撮った、アストラムラインの軌道とトンネルの様子です。
新交通システムは一応鉄道の仲間に分類される機関ですが、地下鉄のトンネル内のように2本の鉄のレールが敷設されていない点が特徴的です。
なお、トンネルの断面形状から、地下の駅部は開削工法により掘られたのかもしれませんが、駅間の軌道部分はシールド工法により掘られた感じでした。

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上の写真は、本通駅のホーム端から撮影した、軌道とトンネルの終端部です。
将来的には、ここから更に軌道が延伸されるそうです。あくまでも計画なので、本当にその延伸が実現されかどうかは分かりませんが。

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2008年4月13日 (日)

門司港の廃トンネル

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上の写真は、一昨年の3月、北九州市内を散策していた際に、門司区の旧門司2丁目でたまたま見つけた、廃線になった鉄道のトンネル入口です。
後から地図で確認した所、この路線は、門司港駅からほぼ海沿いに田浦海岸の化学工場まで延びていた貨物専用線だったようです。

この路線には踏切も多くありましたが、遮断機はいずれも今にも作動しそうな感じで、廃線になってからまだ然程の日数は経っていないようでした

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2008年4月11日 (金)

関門人道トンネル

一昨年の3月、本州と九州との間にある関門海峡を、海底下にある「関門人道トンネル」(海面下58m、距離780m、幅4m)を通って徒歩で横断してきました。
このトンネルは国道トンネル(海面下56m、2車線、通行料は普通車で150円)と2階建構造になっており、同海峡を越えるルート(トンネル、橋、航路)の中では唯一無料で通行できるルートです(但し自転車で人道トンネルを通行する場合は20円徴収)。

関門海峡の傍(本州側は下関市内の丸尾公園、九州側は北九州市の和布刈公園)にあるエレベーターが人道トンネルの入口になっており、下の写真は本州側の入口です。
銀色の扉のエレベーターが2基見えますが、この2基のエレベーターが海面下の人道トンネルに通じています。

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下の写真は、エレベータで降りた場所からトンネル(九州方面)を写したもので、ここから人道トンネルが始まります。
トンネル内ではジョギングをしている人とも何人か擦れ違い、個人的には「こんな殺風景な所を走っても面白くないだろうな」と思っていたのですが、後から聞いた所、雨対策や日焼け対策が不要なジョギング・ウォーキングコースとして地元の人達はよく利用しているそうです。

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下の写真は、トンネルの最深部、海峡中央部に示されていた、福岡県と山口県の境界線です。
これは県境を跨ぐ海底トンネルならではの光景といえます。

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