中部・近畿のトンネル

2014年4月 3日 (木)

開放的な雰囲気の地下駅、千里中央駅

先月下旬、大阪方面を旅行した際、北大阪急行南北線の千里中央駅から、同線と相互乗り入れを行っている大阪市営地下鉄御堂筋線の梅田駅までの区間を乗車したのですが、下の写真は、その際に千里中央駅で撮影した、同駅構内の風景です。

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千里中央駅は、ホームから改札階の天井までは吹き抜けになっていて、改札は、ホームから上がったところに設置されており、その吹き抜けを囲むように飲食店などが配置されています。
大きな吹き抜けのため、地下駅の割にはかなり開放的な雰囲気となっているのが特徴です。

現在は北大阪急行南北線の終点駅ですが、同線は千里中央駅から新箕面駅(仮称)まで延伸される事がほぼ確定しているため、延伸後は中間駅となります。

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2014年3月22日 (土)

早朝の“梅田ダンジョン”を歩いてきました

今週、私は2泊3日の日程で大阪市内や天橋立方面を旅行してきたのですが、2日目の朝は、JR大阪駅から神戸方面行きの列車に乗るため、宿泊先のビジネスホテルから大阪駅まで徒歩で移動し、その際に、早朝の梅田の地下街を歩いてきました。

下の写真2枚は、その時に地下鉄谷町線・東梅田駅の近くで撮った、地下街の様子です。
この一帯は日本最大規模の地下街として知られていますが、この時間帯(午前5時半頃)は、さすがにまだ人は疎らでした。

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上の2枚の写真だけではその雰囲気は全く伝わらないと思いますが、梅田の地下街は、ひとつの独立した地下街ではなく、いくつもの地下街が繋がってひとつの巨大な“地下都市”を形成しているのが特徴で、増改築が繰り返された事により極めて複雑な構造となっており、その複雑さから、「世界有数の都市型迷路」「梅田ダンジョン」「地元民でも普通に遭難する」などとも揶揄されています。
ちなみに、梅田の地下街についてネットで検索してみると、以下のように評されていました。

「新宿はいつも人が多いけど、梅田の方がダンジョン」
「久しぶりに梅田ダンジョンで迷子になったw」
「難波は6年間通ってるから大丈夫だけど、梅田ダンジョンは一生理解出来ない気がする」
「新宿ダンジョンはめっちゃ歩くイメージで、梅田ダンジョンは外に出られないorここはどこ…て感じになりますぞ…」
「東京→ダンジョン 渋谷→強ダンジョン 新宿→迷宮 大阪+梅田→魔界」
「道が斜めに交差している地点が多数あり、方向感覚を狂わせる」
「地下道と地下道の立体交差もあるし、おまけにビルの地下街は地下1階と地下2階の2層構造になっている」

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2013年10月28日 (月)

立山信仰発祥の地となった洞窟、玉殿岩屋

先月下旬、富山県の立山・黒部方面を旅行した際、私は、北アルプス立山連峰の主峰・雄山に登ってきました。
富士山・白山と共に日本三霊山のひとつとされる雄山(標高3,003m)は、古来から立山信仰(立山修験)最大の聖地であり、その山頂には雄山神社峰本社が鎮座している事から、私は以前から一度は雄山を登拝してみたいと思っており、この度、交通機関を利用して到達する事が出来る立山最高所の室堂平(標高2,450)までは鉄道やバスを乗り継いで行ったものの、そこからは約2時間かけて徒歩で山頂へと行って参りました。

 

今回の記事で取り上げるのは、山頂へ行く途中、というよりも、室堂平から登り始めてすぐの場所(雄山の中腹)にある「玉殿岩屋」という洞窟です。
下の写真は、雄山の山頂へ続く登山道からは一旦離れて、玉殿岩屋へと続いている道で写した光景です。大きな石がゴロゴロとしており、結構険しい道でした。

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そして、下の写真2枚が「玉殿岩屋」です。
立山開山伝説の舞台となった、立山信仰に於ける重要な聖地のひとつですが、洞窟の内部に立ち入る事は出来ず、入口のみの拝観となります。

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立山を開山し、後に慈興上人と称された佐伯有頼公が、立山へ導かれるきっかけとなったとなったエピソード(伝説)は、概ね以下の通りです。
ある日、佐伯有頼少年(当時16歳くらいであったと云われています)は、父が大事にしていた白鷹が遠くへと飛んでいってしまったので、その白鷹を追って立山の山中へと入っていきました。
山中では、突然現れた熊に襲われますが、有頼少年が素早く矢を放つとその矢は熊の胸に命中し、熊は血を転々と垂らしながら山間を縫って逃げていきました。有頼少年は熊の後を追いかけ、更に深い山奥へと入って行き、やがて、洞窟に着きました。
有頼少年はその洞窟の奥の様子を窺うと、洞窟の闇の中から光が輝き、そこに阿弥陀如来が現れました。阿弥陀如来の胸には有頼少年が放った矢が刺さっていて、血が流れていました。阿弥陀如来が熊の姿に化身して、有頼少年をこの洞窟へと導いたのでした。
阿弥陀如来は、「我、濁世の衆生を救はんがため此の山に現はる。或は鷹となり、或は熊となり、汝をここに導きしは、この霊山を開かせんがためなり」とお命じになり、感激した有頼少年は、一旦下山してから出家し、僧侶となって立山を開山造営し、立山信仰を広めたのでした。
その洞窟が、ここなのです。

 

下の絵はいずれも、このエピソードが描かれた、立山曼荼羅の一部です。
立山曼荼羅は、立山信仰を広め、立山への参詣を勧める事を目的に描かれ、布教での絵解きに積極的に用いられました。

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上の3枚の絵は、いずれも同じ場面を描いたものですが、立山曼荼羅には、元にした縁起によっていくつものバージョンがあるため、そのバージョンによってこのような違い(例えば、1枚目と2枚目は阿弥陀如来の横に不動明王がいるが3枚目にはいない、有頼少年の服装は1枚目では鎧姿で2枚目では狩衣で3枚目では衣冠、有頼少年の頭髪は1枚目では既に剃っており2枚目では剃っている最中で3枚目ではまだ剃っていない、など)が生じています。

 

下の写真2枚は、雄山を登拝した翌日、山麓の立山博物館で見学してきた、同博物館内に実物大模型で再現されていた「玉殿岩屋」です。

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2012年8月 1日 (水)

阪神なんば線が高架から地下へと入る風景

先月上旬、私は4泊5日の日程で奈良方面に行ってきました。今回はプライベートな旅行ではなく、奈良県内で4日間に亘って開催された研修会に出席するためで、新千歳発・伊丹行きの便で関西に入った私は、阪神梅田駅から電車に乗って、尼崎駅を経由して、近鉄奈良駅へと向かいました。
これは、梅田から奈良へと向かう最短のルートではありませんが、今回は、建設現場を何度か見学しに行くなどした事から個人的に思い入れのある阪神なんば線(平成21年に開業した、西九条~大阪難波間の3.4kmを結ぶ路線)を利用したかったので、あえてこのルートを使って奈良へと行ったのです。

阪神なんば線は、0.7kmの高架区間と2.7kmの地下区間から成る路線で、私はかつて以下の記事(別のブログですが)で、その阪神なんば線が高架から地下へと潜る地点の建設工事現場を見学してきた事を報告し、その時に撮影した写真もアップするなどしました。
http://sky.ap.teacup.com/applet/kansai/msgcate10/archive?b=7

今回は、その地点を、走行中の電車正面(運転室のすぐ後ろ)から撮影した写真を、以下にアップします。
JR大阪環状線の高架橋を跨ぐ形でホームが延伸された、高々架駅の西九条駅を出発すると、すぐに、線路の両側がセミシェルターで覆われた区間となり、安治川を渡る鉄橋でセミシェルターは一旦途切れますが、鉄橋を渡るとすぐにまたセミシェルターの区間となり、そして線路はそのまま、40パーミルの急勾配で一気に地下へと入り、地下駅の九条駅に到達し、そこから先は単線シールドトンネルの並列による地下線となって、大阪難波駅へと至ります。

 

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▲ ホーム2面2線の西九条駅

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▲ 西九条駅からは騒音対策のためのセミシェルター区間となります

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▲ 尼崎行きの近鉄電車との擦れ違い

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▲ セミシェルターが途切れるため高架区間では唯一眺望の良い安治川橋梁

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▲ 安治川橋梁を超えると、再びセミシェルター区間が始まります

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▲ そして、35~40パーミルの急勾配で一気に地下へ

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▲ 地下線入口(トンネル始点)

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▲ 地下線入口の上に掲げられている扁額の文字は「紹復大業」

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▲ 地下線に入った直後

 

ちなみに、優美な弧を描く鉄橋・安治川橋梁の下には、両岸にそれぞれ設置された大型エレベーターで河底に達して安治川の下を徒歩で横断する、歩行者・自転車用の「安治川トンネル」もあります。このトンネルについては、以下の記事で紹介させて頂きましたので、興味のある方が御参照下さい。
http://tunnellove.cocolog-nifty.com/blog/2008/05/post_adc4.html

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2011年4月10日 (日)

神戸高速鉄道東西線の高架線・地下線接続部

先月末頃、私は関西(神戸・大阪・京都方面)を旅行し、大阪から神戸へは阪急電車で移動したのですが、その時乗車した車両の先頭部(運転室のすぐ後ろ)から前方を撮影したのが下の2枚の写真で、これはいずれも、阪急電車が乗り入れている神戸高速鉄道東西線の阪急三宮~花隈間に位置する、高架線と地下線の接続部となっている地下トンネル入口です。

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写真左側に見えている高架線のホームは、神戸高速鉄道東西線と並行している東海道本線(JR神戸線)の元町駅のものです。

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2010年12月 9日 (木)

DVD『黒部の太陽』

先日、『黒部の太陽』のDVDを購入しました。
これは、フジテレビ開局50周年記念ドラマとして昨年3月21日・22日に2夜連続放送されたスペシャルドラマ『黒部の太陽』の全編を収録した3枚組(本編前編、本編後編、特典映像編)のDVDセットで、本編は、約4時間強に及ぶ大作です。
トンネル建設にまつわる大作の映像作品としては、一昨年7月7日の記事で、高倉健主演の映画『海峡』を紹介させて頂きましたが、この作品『黒部の太陽』も外せません!

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以下は、フジテレビの番組公式サイト(http://www.fujitv.co.jp/kurobe/index.html)からの転載です。この作品の概要が纏められています。

今回フジテレビでは、半世紀にわたって視聴者とともに歩んできた歴史の証し、そして今後も視聴者と共に文化を培っていきたいという放送局としての意思表示となる記念番組を放送しようと、「黒部の太陽」を制作した。

昭和31年、深刻なエネルギー不足に悩まされていた日本を救うため、関西電力は日本最大規模の黒部川第四発電所の建設を決断。その工事は7年の歳月を要し、昭和38年に完成に至った。
ドラマ、「黒部の太陽」は、黒部川第四発電所建設の中でも最大の難工事と言われた、大町トンネル掘削工事に焦点を当て、艱難辛苦の末トンネル貫通に至る様を描き出している。木本正次氏の原作に描かれている、工事に関わった人たちの熱く感動的な人間ドラマをより原作に忠実に、より重層的に描こうというものである。 

登場人物一人一人も原作に忠実に描かれ、今まで見たことのない「黒部の太陽」が誕生することとなる。この熱い魂のぶつかり合いをリードしていく、トンネル工事の最前線で奮闘する工夫たちの若きリーダー、熊谷組倉松班親方、倉松仁志を演じるのが、香取慎吾である。破砕帯と真っ向から向き合い、危険と隣り合わせの中、勇敢に立ち向かう様を描く。
さらに香取演じる倉松と共にトンネル貫通を目指す関西電力の滝山薫平役を小林薫が演じる。静かなたたずまいの中に熱い心を持つ滝山と、倉松親方を中心に汗と涙の熱い魂のぶつかりあい、人と人との深い絆を描き出す。
そして陰で支える女たち、家族も、トンネルを突き進む者たちと気持ちを一つにし苦労を耐え忍ぶのだった。
次から次へと難問、試練に襲われる中、不屈の精神で前に進み続ける人々の姿を描く、現代の日本に生きる全ての人に届けたいメッセージにあふれた作品となっている。

さらに、監督には、今やフジテレビだけでなく日本を代表するドラマ監督としてテレビドラマ、映画と活躍の幅を広めている河毛俊作が、特撮は、「日本沈没」「西遊記」などの作品を手がけ大反響を得た特撮クリエイター、尾上克郎が担当する。スタッフ、キャスト共に最強の布陣により、いよいよ、21世紀の「黒部の太陽」映像化が実現する。

主演の香取慎吾を始め、ユースケ・サンタマリア、深田恭子、綾瀬はるか、末永遥、志田未来など若手の俳優さん達がそれぞれ良い演技を見せてくれ、また、経営者、技術者や建築業者、農家などは、小林薫、火野正平、竜雷太、小野武彦、伊武雅刀、田中邦衛、津川雅彦など深みのある名優さん達が演じており、世紀の難工事と言われた大町トンネル掘削工事に挑んだ男達と、それを支えた女達の苦闘が、昭和の雰囲気を漂わせながら実に感動的に描かれています。

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また、番組公式サイトには、ストーリー紹介として以下のように書かれていました。

敗戦から立ち上がり復興を果たし、高度経済成長を目指す中、日本全国が絶対的電力不足に悩んでいた。
ついに関西電力、太田垣士郎社長(中村敦夫)は、黒部川最上流域に日本一のアーチ型ダムを擁する、黒部川第四発電所建設に着工することを決意。前人未踏の黒部上流域に分け入り、日本一のダム建設を実現するため、関西電力は熊谷組を始め信頼できる建設会社を、日本の将来のため、と口説いていく。ついに未曾有の予算、規模によるダム建設に着工することとなる。
黒四建設という重大任務を託されたのは、様々な難工事を成功させている滝山薫平(小林薫)だったが、滝山は二の足を踏む。しかし社長からまでもくどかれた末、黒四建設事務所次長に就くことを決意する。滝山は、黒部川第四発電所の建設の中でも、ダムサイト工事現場へ資材を運ぶために北アルプス山中を貫く大町トンネル掘削工事を任されることとなる。関西電力は「トンネルの熊谷」とトンネル掘削では輝かしい実績を上げている熊谷組に大町トンネル工事を依頼する。

既に佐久間ダム建設に成功し名をあげていた熊谷組工事課長の木塚一利(ユースケ・サンタマリア)にも声がかかる。木塚は、新しいトンネル掘削工法を習得しており、佐久間ダムなど新ダム建設成功の立役者であった倉松班の親方、倉松仁志(香取慎吾)に白羽の矢を立てる。
仁志の母ツル(泉ピン子)は父親も親方として黒部第三発電所の建設に関わり地獄のような苦しみを味わっていることを知っているだけに大反対する。大町に掘ろうとしているトンネルはフォッサ・マグナ(大断層地帯)に沿っておりどんな破砕帯が眠っているかもしれない。どんな困難が待ち受けているかもしれない難工事。
しかし倉松は沢井甚太(勝地 涼)、島崎哲蔵(火野正平)、石川伸也=ノブ(趙 珉和)、山下 護=マモル(木村 昇)らをはじめとした、富山の若者たちを引き連れ、山に入る。

一方、滝山には3人の美しい娘たちがいた。長女滝山幸江(綾瀬はるか)は木塚とお見合いをしたが、ほとんど家にいることのなかった父親と同じ職業の木塚との結婚にもう一歩踏み切れずにいた。家で出会った倉松の存在も気にかかっていた。娘たちは、現場近くにまでやってきてくれることもあったが、3女の光子(志田未来)が体調がすぐれずすぐに宿舎に戻ってしまう。難事業に取り組みながら、滝山は光子の様子が心に引っかかるのだった。
そんな中もトンネル掘削工事は順調に進んでいた。甚太は、工事現場近くの食堂で働く文子(深田恭子)に恋心をいだき、仕事の合間に会えることを楽しみにしていた。文子には暗い過去があることがささやかれていても甚太はものともせず純愛を貫いていた。

ついに恐れていたことが起きてしまう。破砕帯と呼ばれる脆弱な土壌にぶつかってしまったのだった。冷たい地下水の大量噴出、艱難辛苦に立ち向かう倉松たち。このトンネル貫通は不可能なのか、突破する方法はあるのか。徹夜の作業が続く。あらためて調査も開始するが画期的な方法は見つからない。誰もが不可能と思い始める中、倉松だけは決して希望を失わず、さらには周りの人間も動かしていった。
果たしてトンネルは掘り抜かれるのか。黒部の太陽を見られる日はやってくるのか。熱く感動的な人間ドラマをより原作に忠実に、より重層的に描いていく。

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『黒部の太陽』と聞くと、石原裕次郎が出演した昭和43年公開の映画版を思い浮かべる人も多いと思いますが、平成版『黒部の太陽』も、なかなか重厚なドラマで良い作品だと私は思います。個人的には、感動できるポイントもいくつかありましたし。

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2010年5月22日 (土)

多くの殉職者を出す難工事の末に完成した六甲トンネル

一昨年7月25日の記事「ふたつのトンネルに挟まれた新神戸駅」では、六甲山の斜面にかなり強引に建てられた新神戸駅を挟むようにして東西それぞれの山を貫いている二つのトンネルのうち、西側(西明石・博多方面)にある神戸トンネル坑門の写真をアップさせて頂きましたが、今日の記事では、東側(新大阪・東京方面)にある六甲トンネル坑門の写真をアップさせて頂きます。
これら2枚の写真は、いずれも先週、神戸・九州北部方面を旅行した際に新神戸駅のホームから撮影したものです。

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兵庫県の六甲山を東西に貫いている六甲トンネルは、山陽新幹線の新神戸~新大阪間(新神戸駅の東側すぐの場所)にある新幹線複線鉄道トンネルで、難工事の末に昭和45年10月に貫通し、昭和47年3月に開業(供用開始)しました。
阪神間の密集市街地を避けるため六甲山に掘削されたのですが、六甲山には大小の断層破砕帯が縦横に走っているため、地質を調べるため数多くのパイロットトンネル(先進導坑)が掘られ、トンネル全体を7工区に分割して、中間部に斜坑5本、横坑1本、立坑1か所のトンネルが設けられました。
しかし、軟質岩石(岩盤崩落)と湧水(地下水の噴き出し)のため工事は難航を極め、完成までに54名もの方々が殉職しました…。

トンネルの全長は16.25kmで、山陽新幹線の西の発着駅が岡山だった当時は日本一の長さを誇るトンネルで、平成12年に東北新幹線の岩手一戸トンネルが開通するまでは、新幹線トンネルの中では大清水トンネル(22.2km)、新関門(18.7km)トンネルに次ぐ総延長第3位の長さを誇るトンネルでもありました。
ちなみに、現在最も総延長が長い新幹線トンネルは、今年12月に開業する東北新幹線八戸~新青森間にある八甲田トンネル(26.5km)で、このトンネルは陸上トンネルとしても日本最長のトンネルです。

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2010年2月25日 (木)

震災から15年後の大開駅

今月の15~17日にかけて、私は2泊3日の旅程で淡路島・鳴門・倉敷・岡山方面を旅行してきました。
札幌からの往路も札幌への復路も神戸空港を利用したため、限られた時間ではありましたが神戸市内にも少し滞在することができたため、折角の機会なので、前々回の記事(先月20日の記事)で紹介させて頂いた神戸高速鉄道東西線の大開駅にも行ってきました。
下の写真2枚が、その時私が見学・撮影してきた、現在の大開駅の様子です。

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前々回の記事に貼付の写真と比べるとまるで別の駅であるかのように思える程、見事に復興されており、同駅にはその日もいつも通り、神戸高速鉄道東西線に乗り入れている阪神電車や山陽電車が走っていました。

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2010年1月20日 (水)

阪神淡路大震災で崩壊した地下空間

国内では関東大震災以来最悪・最大規模の震災となった「阪神淡路大震災」の発生から、今月で丁度15年が経ちました。

私は基本的に札幌で生まれ育った人間であり、震災発生時も札幌で暮らしていたため、被災者やその遺族・関係者でもない自分がこの震災についていろいろと語るのは、正直かなり僭越な気もするのですが、ただ、被災地ではありませんが関西地方(京都府八幡市)に平成14年4月~16年3月まで2年間住み、当時神戸や大阪などにもよく行っていた私としては、阪神地区はとても思い入れの強い地域であり、同地区を襲った阪神淡路震災には常に大きな関心を持っていますので、少々気は引けますが今日はあえて、この震災について触れてみたいと思います。

平成7年1月17日午前5時46分、兵庫県淡路島北部を震源とするマグニチュード7.3の大地震が、兵庫県南部(阪神地区)の各都心部・住宅街や淡路島などを直撃しました。
当時、私はテレビの中継で札幌からその状況を見ていましたが、日本人の誰もがそうであったように、想像を遙かに上回る被害状況のあまりの大きさに私は激しく驚き、半ば呆然としてテレビを見つめていました。
最終的には、同震災では建築物の倒壊や火災等により死者6,434人、負傷者約44,000人、全半壊家屋512,882棟、被害総額推定10兆円もの甚大な被害を出す事になりました。
そして、被災地以外の人達には今でもあまり知られていないかもしれないですが、阪神淡路大震災では、それまで一般に広く信じられてきた「地下は地上よりもむしろ地震に強くて安全」という“神話”も崩れ去り、地下空間も甚大な被害を被りました。

下の写真は、震災の2週間後(平成7年1月31日)に撮影された、神戸市兵庫区の国道28号線地下にある、神戸高速鉄道東西線の大開駅構内です。天井が大きく陥落し、駅そのものが完全に押し潰されています。
この時、もしここに電車が停まっていたとしたら、乗客に多数の死傷者が出て大惨事となっていた事は想像に難くないですが、幸いにも、ここに停まっていた電車(阪急三宮行きの6両編成の山陽電車)は地震発生の直前にここを発車し難を逃れました。

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下の写真は、震災発生日(1月17日)に撮影された、大開駅の地上部(国道28号線)で、丁度、上の写真に写っている場所の真上に当たります。
道路の各所には大きな亀裂が入り、道路中央部は大きく陥落し、そこには大量の泥水が溜り、車が何台も沈んでいます。

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これらの写真からも、地下空間の被災状況の大きさが分かるかと思います。
ちなみに、震災後、全壊した大開駅やその地上部の復旧作業は急ピッチで進められ、震災発生から約7ヶ月後の平成7年8月13日には、大開駅を通過する形で新開地~高速長田間の営業運転が再開され、震災から丁度1年後の翌8年1月17日には、大開駅も1年ぶりに営業を再開しました。

しかし、これ程大きな被害を出した震災でありながら、住民の入れ替わりが進んでいる事や、震災を知らない若い世代が急増している事などから、かつて被災地と呼ばれていた地域ですら、“震災の記憶”の風化が著しく進でいると云われています。
ですから、私は、これ以上震災の記憶を風化させてはいけない、震災の記憶はいつまでも語り継いでいかなければならない、という思いもあって、今回この記事をアップさせて頂いたのですが、ただ、私は強くそう思っている反面、「自分はあの時、家族を助け出す事ができなかった」と今でもまだ当時の出来事を消し去る事のできない重荷として背負い自分を責め続けている被災者やその遺族の方々には、早く当時の事を忘れて貰いたいとまでは図々しくて言えないものの、もう15年も経ったのだから早くその重荷を降ろして精神的に解放させてあげたい、今後はもっと前向きに生きて貰いたい、とも願っています。

これは完全に矛盾するのですが、私は、いつまでも忘れずに永遠に語り継ぐ必要性と、いつまでも語り続けなくてはいけない重荷からの解放の必要性、というものを感じています…。

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2009年10月29日 (木)

宝山寺境内を貫く生駒ケーブルのトンネル

私は今年の3月、奈良県生駒市で生駒ケーブル(近鉄生駒鋼索線)の宝山寺線(鳥居前駅~宝山寺駅間、全長0.9km)と山上線(宝山寺駅~生駒山上駅間、全長1.1km)の2路線のケーブルカーに乗り継いで、生駒山の山頂まで行って来ました。
ちなみに、その時の事については以下の記事で詳しく書かせて頂きました。
http://sky.ap.teacup.com/applet/kansai/20090521/archive

私が山上線で「おやおや」と思ったのは、上りの際の出発駅である宝山寺駅の山上線ホームがトンネルと直接接しており、ケーブルカーは駅を出発すると同時にすぐトンネルに入り、宝山寺境内を地下で横切り、境内を抜けてから再び地上(山肌)に出るという路線配置になっていた事です。
駅とトンネルが接している事自体は、鋼索線としては別に珍しい光景ではないのですが(男山ケーブル男山山上駅もそうです)、しかし、地下とはいえ社寺の境内中央を堂々と横切るというのは、信心深い私としては神仏に対して「申し訳ないなぁ」と何だか恐れ多い気持ちになってしまいました(笑)。
もっとも、神仏に対して恐れ多いと言うのであれば、線路が境内を横切っている事よりも、その境内に隣接している一帯(宝山寺の門前町)が実は色街であるという事のほうがよっぽど恐れ多いとは思いますが(笑)。

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上の地図で、一番上に赤く示されている建物が宝山寺駅の駅舎で、その駅舎と、地図一番下に示されている梅屋敷駅との間に引かれている線が、生駒ケーブルの山上線です。トンネルは、点線で示されている区間です。

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上の写真2枚は、このトンネルの上下それぞれの坑口です。

一般に鉄道は勾配には弱いため、道路トンネルよりは鉄道トンネルのほうが勾配が緩くなり、その分トンネルの全長も長くなるのですが(例えば、もし世界最長の青函トンネルが鉄道用ではなく道路用のトンネルだったとしたら、間違いなく今よりももっと短いトンネルとして建設されていたはずです)、しかし、ケーブルカーの場合は鉄道でありながらも逆に自動車よりも勾配に強いため、ケーブルカーのトンネルは道路トンネルよりも勾配が急になる事が多く、そういった観点からも、ケーブルカーのトンネルには一般の鉄道トンネルや道路トンネルには無い特色や魅力があります。
…別に、坂が急なトンネルはそれだけで魅力的、と言っているワケではありませんが(笑)。

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