東北・関東のトンネル

2014年5月20日 (火)

湘南モノレールのトンネルで動画を撮影してきました

今月上旬頃、私は関東(主に東京・川崎・鎌倉・江の島方面)を旅行してきたのですが、その際、湘南江の島駅から大船駅まで、湘南モノレールに乗ってきました。

下の動画は、今回、湘南モノレール先頭車の車内から私が撮影してきた正面車窓の動画で、平成22年9月29日の記事にも書いたように湘南モノレール江の島線には2つのトンネルがあるのですが、これは、そのうち湘南江の島~目白山下間にある山中のトンネルを通過する際に撮影した動画です。
懸垂式モノレールのトンネルは珍しいので、今回は、写真ではなくあえて動画で撮影してきました。

鉄道のトンネルなのに、トンネルの床面に線路が敷設されていない(何も無いただのコンクリート面が広がっている)というのは、やはり新鮮でした。
ちなみに、排水のためか、トンネル床面は、左右の側壁から中央部に向かって傾斜しておりましたが、これは、道路のトンネルや一般の鉄道トンネルではほぼ全く見られない、懸垂式モノレールのトンネルならではの特徴だと思います。

また、車体がレール全体に跨る構造からどうしても断面積が大きくなってしまう跨座式モノレールのトンネルに比べると、トンネルとしてはやはり小ぶりであり、これも、懸垂式モノレールのメリットの一つだと思います。
東京モノレールの羽田空港地下のトンネルは、見るからに断面積がかなり大きいですからね。

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2014年5月11日 (日)

かつて日蓮が入獄されていたと伝わる龍口寺の御霊窟

先週、1泊2日の日程で関東(主に東京・川崎・鎌倉・江の島方面)を旅行してきたのですが、その旅行での2日目の早朝、藤沢市片瀬(江の島のすぐ近く)にある、日蓮宗霊跡本山の龍口寺という寺院を参拝・見学してきました。

ここは、鎌倉時代は刑場だった地で、日蓮宗の開祖・日蓮が、鎌倉幕府や諸宗を激しく批判した事から、幕府の実験を握っていた北条氏得宗家の御内人・平頼綱により処刑されそうになった地でもあります。
結局、刑は中止されたのですが、日蓮宗では開祖が斬首されそうになったこの事件を「龍ノ口法難」と呼び、日蓮四大法難の一つとしており、この法難の後、日蓮の弟子である日法はこの地を「龍ノ口法難霊蹟」としてお堂を建立しました。
それが、龍口寺創建の由緒と伝わっています。

下の写真は、その龍口寺の境内で私が見てきた、「御霊窟」と称される小さな洞穴です。
龍ノ口法難の際、処刑が執行されまでの間、日蓮が一時的に入獄されていたと伝わる土牢で、内部に照明が無いため下の写真ではほとんど分かりませんが、現在はこの洞穴内に日蓮像が安置されています。

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この御霊窟は、日蓮宗の寺院や信者にとっては祖師(日蓮聖人)に纏わる貴重な史跡(霊跡)のひとつでもあるので、私は日蓮宗の信者ではありませんが(そもそも仏教徒ではありませんが)、神仏が坐す聖地とされる場所を訪ねた者の礼儀として、本堂とこの御霊窟の前でそっと手を合わせてきました。

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2012年10月25日 (木)

新青森~新函館間の北海道新幹線で最後のトンネルが完成

以下は、「最後のトンネル貫通 北海道新幹線 青森」というタイトルで昨日配信されていた、産経ニュースからの転載です。
http://sankei.jp.msn.com/region/news/121024/aom12102402070000-n1.htm

 

平成27年度に開業する北海道新幹線の建設工事のうち、本県側トンネルで最長の津軽蓬田(よもぎた)トンネル(6190メートル、蓬田村蓬田-外ケ浜町蟹田(かにた))の掘削が終了し、23日、現地で貫通式が行われた。これで北海道側と本県側のトンネル12本すべての掘削が終了。関係者は27年度の函館延伸に向け、決意を新たにしていた。

同トンネルは「蟹田層」と呼ばれる、砂を主体にした崩れやすく掘削が難しい地質。このため、東北新幹線で施工実績のある「SENS工法」と呼ばれる特殊な方法で掘削した。
この工法はシールドマシンでトンネルを掘り進めると同時にコンクリートを打設して壁を造る方法で、これで21年11月の掘削開始から当初予定より約5カ月も早く貫通した。
蟹田側の出口で行われた貫通式には関係者約100人が出席。青山祐治副知事や森内勇外ケ浜町長、鉄道建設・運輸施設整備支援機構青森新幹線建設局の上田日出男局長らが除幕すると、直径11・3メートルのシールドマシンが姿を現し、貫通を祝った。

今後は、トンネルの付帯設備工事やレールの敷設工事、奥津軽駅(仮称)の建築工事などが順次進められ、上田局長は、「27年度の新函館駅開業に向け、最大限努力したい」と語った。

 

北海道新幹線の今後の動向については私もそれなりに関心を持っており、このニュースも、「北海道新幹線の開業もついに再来年に迫ったんだなぁ!」という実感と共に興味深く読ませて貰いました。

北海道新幹線のトンネルについては、4年前にこのブログにアップした以下の記事も併せて御参照下さい。
http://tunnellove.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-d418.html

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2012年6月23日 (土)

白虎隊士達も歩いた飯盛山の戸ノ口堰洞穴

私は先週、2泊3日の日程で福島県の会津地方を旅行してきたのですが、会津若松では、白虎隊の聖地として知られる飯盛山にも行ってきました。その飯盛山の山中にあるのが、戸ノ口堰洞穴という地下水路です。

戸ノ口堰(せき)は、今から約400年前の元和9年(1623年)、猪苗代湖の水を会津地方に引くため郷士八田氏が起工した水路で、70年間にも亘る工事の末、元禄6年(1693年)に鶴ケ城下まで水路が開かれ、会津の水田2,500ヘクタールに猪苗代湖の水が供されるようになりました。
その後、戸ノ口堰全長の大改修が行われ、天保3年(1832年)に、戸ノ口堰のうち飯盛山の山腹約150mの区間がトンネル化されたそうです。
下の写真が、そのトンネル「戸ノ口堰洞穴」です。

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この戸ノ口堰洞穴は、鶴ケ城(会津若松城)を仰ぎながら壮絶な最期を遂げた、あの白虎隊の少年達がくぐり抜けた事でも知られています。
会津戦争では、白虎隊士中二番隊の隊士達20人が、戸ノ口原に布陣している味方軍応援のため派遣されましたが苦戦を強いられ、お城の安否を確かめようと鶴ヶ城が望める飯盛山に向かう途中で、水に浸かりながらこの洞穴を通過したのです。
そして、この洞穴を抜けた後、飯盛山から城下町が炎上しているの見た白虎隊士達20人は絶望して自刃し、そのうちの19人が帰らぬ人となりました…。

下の写真1枚目は、白虎隊自決の地で、2枚目は、その自決の地から眺めた会津の城下町です。2枚目の写真中央の緑が、鶴ケ城の一帯です。

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2012年1月18日 (水)

JR山手線の下をくぐる、天井が低過ぎるトンネル

「どうしようもなく疲弊したときに読んで欲しい、脱力満点な国内外の情報を編集部総力あげて真剣にお伝えする、脱力ライフ提案サイト」を名乗っている「Pouch[ポーチ]」というニュースサイトで、今月7日に、『【トリビア】JR田町・品川駅間には車がギリギリで通る「低すぎるトンネル」がある』という記事(以下のURL)が配信され、高さ制限が僅か1.5メートルという、驚くほど天井が低いトンネルが紹介されています。
http://youpouch.com/2012/01/07/49614/

これは、なかなか珍しくて面白いトンネルです。
トンネルというよりは、単に“高架橋の下”と言えなくもないですが…。

とりあえず、次回東京に行った時は、ここへも行ってみたいと思います。
私の身長は173cmなので、勿論、屈みながらでないとここを通過する事はできません。

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※ 下記の文章は、このブログやこの記事とは全く関係ありません。別のブログで行われているある企画に連動して書かれているものなので、その企画を関知されていない方はスルーして下さい。
【7】 分割されていて読み辛いこの文章に最後までお付き合い戴き、どうもありがとうございました!

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2011年12月26日 (月)

中世の霊場の雰囲気を今に伝える瑞巌寺洞窟遺跡群

今月中旬、私は2泊3日の日程で宮城県の仙台・塩竈・松島方面を旅行してきたのですが、松島では、仙台藩主伊達家の菩提寺としても知られている、東北地方を代表する古刹の一つ、瑞巌寺を参拝・見学してきました。

その瑞巌寺の境内にあったのが、今回紹介させて頂く「瑞巌寺 洞窟遺跡群」です。
古来松島は「奥州の高野」と呼ばれ、亡き人々の供養が営まれた霊場でもあり、松島を形成している第3紀凝灰岩層を掘って作られたこの洞窟群も、故人の供養を目的として鎌倉時代に造営され、江戸時代まで実際に使われていました。
洞窟の前や内部には、無数の石仏、塔婆、五輪塔などがあり、霊場独特の厳粛な雰囲気を今に伝えていて、境内の他の場所よりも、何となく空気が張り詰めているような感じがしました。

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2011年10月30日 (日)

現役で営業している地下街としては東京最古の「浅草地下商店街」

今月中旬、私は2泊3日の日程で東京方面を旅行してきたのですが、東京では浅草にも行ってきたので、以前から一度行ってみたいと思っていた「浅草地下商店街」に行ってきました。

浅草地下商店街は、昭和6年に開業した浅草雷門駅(現在の東武浅草駅)の開設に伴い建設された地下通路に並行する形で、昭和30年に建設されたそうですから、半世紀以上もの歴史を有している事になります。
東京最古の地下街らしく、天井を這う剥き出しの配管も見事な野趣満点の地下街で、上野駅の地下街が改装されてしまった今となっては、情緒という点においてもかなり貴重な存在の地下街といえます。

下の写真は、東武浅草駅正面広場にある、この地下街の出入口です。
地下鉄銀座線浅草駅の出入口も兼ねているのですが、御覧のように雨除けとなる屋根は無く、その荒削りな構造や、時代がかった「裸火厳禁」の表示など、独特な雰囲気を醸し出しています。

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そして下の写真が、この地下街の内部です。
100m足らずの小さな地下街ですが、歩いている人の少なさ、雑多なお店の並び方、時々見られるちょっと怪しげなお店など、なんというか、とにかくレトロでカオスな雰囲気が満載でした(笑)。

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まるで昭和の時代にタイムスリップしたかのような感覚に捉われる、完全に時代から取り残されている感じの不思議な地下空間でした。

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2011年5月28日 (土)

江ノ電唯一のトンネル、極楽洞

昨日、旅先の神奈川県鎌倉市で、江ノ電の極楽寺駅付近を徒歩で散策中、江ノ電の路線で唯一のトンネル「極楽洞」(ごくらくどう)の近くをたまたま通ったので、線路に跨る陸橋「桜橋」の上から、極楽洞を見学・撮影してきました。
極楽洞は江ノ電の極楽寺~長谷駅間にあり、下の写真はいずれも、その桜橋から望んだ、極楽寺駅側の極楽洞の坑門です。

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御覧のように煉瓦造りの坑門は大変風情があり、明治40年に造られたこのトンネルは平成22年11月、「鎌倉市景観重要建築物第33号」に指定されました。
江ノ電が極楽洞を走り抜ける景観は、古都鎌倉に近代の息吹を伝えた電気鉄道の歴史を偲ばせます。

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2011年3月 8日 (火)

国道駅ガード下に広がるトンネルのような異空間

先月下旬、2泊3日の旅程で横浜・東京・千葉方面を旅行してきました。
横浜は最初の日に一泊しただけで、翌日は午前中のうちにすぐ東京へと移動したのですが、横浜から東京へと移動する途中で、私は横浜市鶴見区にあるJR東日本・鶴見線の国道駅に立ち寄り、同駅とその周辺も見学してきました。

国道15号線を跨いでいる事からその名前が付けられた国道駅は、開業してからほぼ全く改築されておらず、そのため、昭和5年の開業当時の様子をそのまま今に伝えている貴重な駅で、特に、地下トンネルのような雰囲気の高架下の通路は、昭和時代のレトロな風情が色濃く残っていて興味深かったです。

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山手線の新橋駅~有楽町駅間のガード下に南北に延々と続く通路もそうでしたが、あれに比べるとかなり規模は小さいもののここもまた、時の流れが止まっているという意味では激しく“異空間”といってよい場所だと思います。

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2010年10月13日 (水)

まるで山岳霊場のような鎌倉の銭洗弁財天

先月の関東旅行では鎌倉にも足を運び、鎌倉市内にあるいくつかの神社仏閣等を周ってきました。
その中でも特に印象に残ったのは、住宅街のすぐ近くでありながらも山中に鎮座するため、まるで洞窟のような素掘りのトンネルをくぐって境内に入る、銭洗弁財天(正式名称は銭洗弁財天宇賀福神社)です。

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▲ 銭洗弁財天の境内入口。
岩肌にポッカリと開いているトンネルの入り口には鳥居が立っいて、ここから先が神域である事を示しています。

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▲ 銭洗弁財天の境内入口。
トンネルの内部が下りの勾配になっているのが判ります。

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▲ 境内入口のトンネル内。
床はフラッなので歩きやすいですが、天井や壁は岩肌のためゴツゴツしています。初めてここを通ると、ちょっとした探検気分です(笑)。

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▲ 境内入口トンネルを、境内側から見た光景。
こちら側にも鳥居が立っていました。ちなみに、この写真にいくつか写っている白い玉はいずれも雨の水滴です。変なものや不思議なものではありませんので御安心を(笑)。

同神社境内に立てられていた由緒書きの看板には、以下のように記されていました。その一部を抜粋させて頂きます。
鎌倉幕府の始祖源頼朝公(一一四七~一一九九)は、平家を討伐して治承七年(一一八三)幕府を樹立しましたが、永い戦乱によって国民の生活は苦しくなっていました。これを憂いた頼朝公は、人々の苦しみを取り除こうとして、神仏の加護を願って、日夜お祈りを捧げたのです。そのうち、文治元年(一一八五)の巳の月の巳の日に不思議なことが起りました。一人の老人が頼朝公の夢枕に現われて、「ここから西北の方向に仙境があり、きれいな泉が岩の間から湧き出しています。そこは清浄な地で福の神が住んでいて、その水を使っています。この水こそな真の神の霊水なのです。この水を絶えず使って、神仏をまつれば、人々は自然に信仰心を起こし、悪鬼や邪鬼も退散して、国内はすぐに平穏に治まります。私こそは隠里(かくれさと)の主である宇賀福です。」というとその姿を消しました。目を覚した頼朝公は、心から宇賀神を敬い、夢のお告げの通りに西北の谷に泉を見つけました。そこに岩窟を掘らせ、宇賀神をまつり、その水を使って神仏の供養を続けると国中は静かになり、人々は富み栄えるようになり、これがここの起りだといわれています。』
鎌倉でも特に由緒のある神社のうちの一つらしいです。

そして、この神社の大きな特徴は、弁財天をお祀りしている奥宮が、岩窟内にある事です。
境内全体が深い木々や高い崖に囲まれていて、更に境内にはトンネルや岩窟もあるため、通常の神社境内の景色とは明らかに異なる、まるで深山幽谷の山岳霊場のような、実に風情のある景色を醸し出しているのです。

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▲ 奥宮の岩窟入口。
写真の中央が岩窟で、その外にある、写真右側の社殿が本殿です。

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▲ 岩窟内。
天井からは沢山の千羽鶴が吊り下げられていました。ここは観光客の多い神社なのですが(但し私が行った時は平日の午前中でしかも雨天だったため参拝者は少なかったです)、単なる観光客向けの神社ではなく、地元の人々や崇敬者達からも厚い信仰を集めている様子が窺えます。

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▲ 岩窟内。
岩窟内には、鎌倉五名水の一つとされる霊水が湧き出て貯まっている所があり、その水でお金を洗って使うと何倍にもなって返ってくるという信仰があるため、いくつものザルが置いてありました。

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▲ お札や硬貨などのお金をザルに入れて直接水で洗っている参拝者。
ここを訪れる一般の観光客には、この神社は“お金を洗う神社”として認識されている事が多いようです。

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▲ 銭洗弁財天の奥宮。
岩窟の奥にあって、銭洗弁財天への信仰の中心となっている場所です。

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