北海道のトンネル

2013年9月11日 (水)

夕張の石炭博物館や模擬坑道を見学してきました

先週、私が住んでいる札幌からだと車で1時間半程の距離に位置する、夕張市内の「夕張石炭の歴史村」へ行き、石炭の歴史村のメイン施設である石炭博物館を見学してきました。
私がここを見学したのは、小学生の時に家族で見学に来て以来二十数年ぶりでしたが、改めて大人の視点で見てみると、結構面白かったです。

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私が小学生の時に来た時は、所謂バブル期の頃で、石炭の歴史村には遊園地も併設されていて家族連れなどでかなり賑わっていましたが、現在の歴史村は、残念な事に大半が廃墟と化していて、石炭博物館はそういった廃墟化している歴史村の敷地内を進んだ奥に位置しているため、嫌でも、閉鎖されて朽ちつつある建物や遊具、ひび割れた道路、敷地内を走っていたとみられる遊覧鉄道の廃線跡やホ-ム、水が止められて干からびている人工の滝や川などが目につき、石炭博物館に到達するまでに夕張という街の著しい寂れっぷり(夕張は、閉山した炭鉱と運命を共にし、観光都市化にも大失敗したんだなという事)を肌で実感できました…。
ちなみに、夕張市は、石狩炭田の中心都市として最も栄えた昭和30年代は人口が11万人を超えていましたが、現在は、市としては全国最速レベルで人口が減少しており、今年に入ってからはついに1万人を割り込んでしまいました(歌志内市・三笠市に次いで全国で3番目の、人口1万人以下の市になりました)。

 

石炭博物館の見学順路は、以下の通りです。
まず本館(2階建)の1階の展示を見てから2階に上がり、そして2階の展示を見てから、同階にある連絡通路を通ってエレベーター(立坑ケージ)がある別棟に移動し、そこ(別棟の2階)からエレベーターに乗って、地下の坑道へと移動します。石炭博物館の目玉となる施設は、本館よりも、地下にあるこの坑道です。

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この時乗るエレベーターの扉には「地下1,000mの坑内へ案内します」と書かれていますが、これは入館客に炭鉱入坑の疑似体験をして貰うための演出で、実際には、このエレベーターで下がるのは地下2~4階程度の深さです。

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そして、地下の坑道を進みながら展示品(実物の機械・道具や、実物代の人形で再現された採掘の様子など)を見学し、更に下の階層へと階段で下がり、史跡の夕張鉱を進み、最後は、階段を一気に上って地上の出口(本館からは離れた場所です)から出ます。

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私が見学した時、館内や坑内では、私以外の入館客は誰もおらず、他の入館客とは一度も会いませんでした。こんな大規模で立派な施設(石炭博物館として国内最大規模で、世界でも有数の施設)なのに、完全に私一人の貸し切り状態でした(笑)。
ただ、貸切と言えば聞こえはいいですが、他に誰もいないという事は何か不測の事態があった場合には少なからず危険が伴うという事でもあり、本館の建物内は兎も角、地下の坑内(立坑ケージから出口までは数百メートルの長さがあります)は地上とはほぼ完全に隔離された空間でもあるため(坑内には係員が一人いただけでした)、女性一人での入館・見学はちょっとオススメできません。

 

以下の写真はいずれも、立坑ケージの入口(エレベーター)から坑道出口までの景観や展示品などです。

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前述のように、博物館に到達するまでには廃墟が目につきますが、博物館自体(本館や坑道)は、今の所は正常に維持・運営されているようでした。
石炭博物館は、一度見学すれば多分誰もが実感するとは思いますが、実は結構立派で、かなり充実している施設であり、北海道開拓の歴史のみならず日本の産業史の一端を知る上でも、このまま埋もれさせてしまうのは余りにも惜しい貴重な施設なので、事実上財政破綻している現在の夕張市にはちょっと厳しいかもしれませんが、今後も閉館させる事なく、是非とも維持し続けて貰いたいです。

 

そういえば、数年前に仕事関係で、ある研修会を受講した時、名前は失念しましたが某講師の先生(確か筑波大学の教授だったと思います)が、「北海道開拓の歴史の概要を学びたければ、札幌にある北海道開拓記念館や、同館の展示を真似た道内各地に乱立する郷土資料館などを見る必要はなく、ただ、夕張の石炭博物館、三笠の鉄道記念館、月形の樺戸監獄(樺戸博物館)の3つみ見ればそれで足ります」と仰っていました。

言われてみれば、確かに「石炭」「鉄道」「囚人」の3つのキーワードは、北海道の開拓を如実に象徴しているかもしれません。その3つのキーワードに北海道開拓の全てが凝縮されていると言ってしまうのは、さすがに言い過ぎだとは思いますが。
そういった意味では、私の個人的な見解としては、その3つの施設以外に小樽総合博物館(昔の鉄道記念館)や博物館網走監獄も、外せないと思います。あと、開拓の村も外せませんね。

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2011年10月 6日 (木)

十数年ぶりに日浦洞門を走ってきました

私は今週、函館市の椴法華地区(函館市に吸収合併されるまでは椴法華村だった地区)で開催された研修会に出席するため、1泊2日で函館に行ってきたのですが、自宅のある札幌からは鉄道やバスではなく自分の車で行ったため、函館市内では少し寄り道をして、函館の湯の川から、恵山まで、海岸線に沿って国道278号を走ってきました。

湯の川から恵山までの区間には、一本のトンネルで山を貫いてショートカットする現国道とは別に、海岸線に沿って何本もの短いトンネルを走り抜ける旧道区間も現存しているので、トンネルが大好きな私としてはやはりここを外す訳にはいかず(笑)、折角なので、日浦洞門という素掘りのトンネル群のあるこの旧道を走ってきました。
ここを通るのは十数年ぶりで、前回の時はバイクでの走行だったため、四輪で走るのは今回が初めてでした。

以下に、今回撮影してきた日浦洞門及びその前後の区間の風景の写真を貼付させて頂きます。
なお、日浦洞門については、平成20年8月11日の記事で詳しく紹介させて頂いたので、その概要等は今回の記事では省略させて頂きます。

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海岸沿いに連なる岩を素堀りで造られた細いトンネルが連続するこの地は、雄大な海と断崖絶壁に挟まれた迫力ある景勝地でもあり、手が届くほど津軽海峡が間近に迫っているためスリルもあり、ただ走っているだけでワクワクするような高揚感が味わえます。

下の写真は、日浦洞門を走り終えた後に振り返って撮影した、日浦洞門(の一部区間)の遠景です。

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2011年3月16日 (水)

札幌駅前通地下歩行空間、ついに開通!

今からほぼ1年前の昨年3月27日に記事で詳しく紹介させて頂いた、札幌駅周辺地区と大通地区を地下で結ぶ全長680mの「札幌駅前通地下歩行空間」が、今月12日、ついに開通しました!
この通路の開通により、札幌駅から、大通駅~すすきの駅間の地下街「ポールタウン」までが1本の地下道で連結され、南北1,700mが地下でほぼ一直線に繋がり、また、札幌駅からは大通の地下街「オーロラタウン」を通じて地下鉄バスセンター前駅までも行けるようになり、札幌の都心部に一大地下ネットワークが誕生しました。

幅約20m、高さ約3mの札幌駅前通地下歩行空間は、地下街として建設すると国からの補助金が支給されなくなり、また既存の地下街とも競合するため、あくまでも原則は地下通路扱いなのですが、通路両側の4mは芸術・文化を発信する広場として整備され、ワゴン販売や市民の文化芸術作品の展示が行われ、指定された壁では広告も表示されるなどします。
また、北3条、北2条、北大通の3カ所には、大型ディスプレーを備えた「交差点広場」が設けられ、企業キャンペーンや芸術文化活動などに利用され、創造都市・札幌を内外に印象付ける造りになっています。
なお、この地下歩行空間は地下街ではないため、通路沿いのビルは、集客のためには自前による工事で地下で接続する必要がありますが、地下歩行空間沿いのビル29棟のうち開通時に接続されるのは7棟で、このうち日本生命ビルと北洋大通センターの2棟は、間口全面を繋げる接続空間を建設し、そこで飲食店なども営業しています。

私は今日、初めて、開通したばかりのこの札幌駅前通地下歩行空間を、札幌駅から大通駅に向かって歩いてきました。
以下の写真は、いずれも今日撮ってきた地下歩行空間の写真です。

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札幌駅前通地下歩行空間の通行可能時間は5:45~24:30までと設定されているので、極端に遅い時間や早い時間でなければ、ほぼ一日中開放されている事になり、一年を通じていつでも、天候や地上の交通事情等に左右されず快適に歩く事ができます。

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2010年11月26日 (金)

定山渓温泉街にある地下観音霊場

今月17日、札幌の奥座敷として知られる札幌市南区の定山渓温泉街にある某ホテルで観楓会が開かれ、私も参加させて頂いたのですが、その翌日の朝、私はホテルを出てからすぐ、同温泉街(南区定山渓温泉西3丁目)にある岩戸観音堂というお堂を参拝・見学してきました。

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上の写真がそのお堂で、岩戸観音堂は、小樽市朝里と札幌市南区定山渓とを結ぶ小樽定山渓自動車道の建設工事で殉職した御霊を祀り、併せて交通安全を祈願するため、昭和11年に完成したとされています。
なお、現在のお堂は昭和42年に再建されたものです。

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岩戸観音堂の最大の特徴は、その背後の山の地下にトンネルが掘られ観音霊場が築かれている事で、本堂内の入口から地下に下りると、約120mのトンネルが続いており、トンネル内壁には、岩戸観世音を中心に大小様々な観音像が33体安置されています。
上の写真は本堂内(御本尊がお祀りされている祭壇の右側)にある、地下へと下りる階段の入口です。

以下の写真はいずれもトンネル内の写真で、天井や壁のあちこちから地下水が染み出てきていて、また、外よりも気温が低いため、まるで洞窟のような雰囲気が漂っていました。

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下の写真はトンネルの終端部間際で、トンネルの先からは外の明かりが見えています。

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そして、下の写真がトンネルの終端部です。
このように地上に繋がってはいるのですが、実際には、頑丈な鉄柵があるため地上に出る事はできず、参拝者はここからUターンしてまた観音堂へと戻る事になります。

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2010年9月 2日 (木)

岩穴の中に鎮座する太田神社

私は今年の7月、友人達と一緒に、札幌からだと車で4時間以上かかる、道南のせたな町大成へ行き、大成にある太田山という山を登ってきました。
太田山の山中には、「日本一危険な神社」として過去に何度かテレビなどで紹介されている太田神社の本殿が鎮座しており、その太田神社を登拝してきたのです。

太田神社は具体的に何が危険なのかというと、例えばウィキペディアの「太田山神社」のページには以下のように記されています。
当神社は太田山の中腹にあるものの、社殿までの道程は急勾配の階段や整備されていない道・崖などが連続している。道道沿いに最初の鳥居が建っているが、そこからは平均45度の斜度を持つ急峻で結構長い石段が現れる。それを過ぎると草木の生い茂る獣道にも似た山道や足場が続く。付近一帯はヒグマの生息地であり、更に夏季になるとブヨ・蚊・ハチやマムシを見ることが出来る。その山道の果てに高さ7mはある北尋坊の崖があり、そこをザイルで手繰りながら登ったところに太田山神社の本殿が建っている。
太田神社本殿へ続く参道は、神社としては考えられない程急峻で険しく、本殿に辿り着くまでの道程はまさにサバイバルです!

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▲ 本殿が鎮座する岩穴のある絶壁。
太田神社の本殿は、垂直にそそり立つ絶壁の中腹に空いている岩穴(小さな洞窟)の中に鎮座しており、本殿にお参り行くには、岩穴から下に吊り下がっている鉄鎖に手と足を掛けながら、その絶壁をよじ登らなければなりません。

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▲ 岩穴の入口。
岩穴に辿り着くと、その入口には3段程の石段があり、ここを登り切るとようやく本殿に到着します。道道に面した鳥居(その鳥居前までは車で行けます)からこの岩穴まで、慣れている人だと30分程で登れるらしいですが、初めて登った私達はほぼ1時間かかりました。

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▲ 岩穴の中に鎮座する太田神社本殿。
ここでは猿田彦大神という神様をお祀りしています。その困難な立地から、一般の参拝者はまずほとんど来る事のない場所ですが、太田山は道南を代表する霊場でもあり、修験者などは今でもよくここにお参りに来ているそうです。とはいっても、私達が太田山を登った時は、行きも帰りも誰ともすれ違いませんでしたが…。

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▲ 本殿を横から撮影。
本殿は、このように岩穴にめり込むようにして建っています。このような険しい場所に、よくこれだけの資材を運び、組み立てる事ができたものだ、と感心してしまいす。

なお、この時の太田神社参拝の様子は以下の記事でも紹介させて頂きましたので、興味のある方はこれらの記事も御覧下さい。
http://shinbutsu.at.webry.info/201007/article_3.html
http://bridgelove.exblog.jp/13010387/

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2010年7月23日 (金)

道道740号線未開通区間にある、ほぼ完成しているトンネル

北海道南部の渡島半島にある、久遠郡せたな町北檜山区(平成17年の合併までは瀬棚郡北檜山町だった地区)の豊岡と同町大成区(平成17年の合併までは久遠郡大成町だった地区)の宮野を結ぶ「北海道道740号北檜山大成線」は、せたな町内の日本海側を海岸に沿って結ぶ一般道道で、そのルート上には北海道最西端の地である尾花岬も含まれていますが、この岬を挟む前後5.6kmは今だ未開通で、そのため平成22年7月現在の時点では、この道路を起点(北檜山区豊岡)から終点(大成区宮野)まで通り抜ける事はできません。
つまり現状では、道道740号線の北側開通済区間は、北檜山区豊岡で国道229号から南に向かって分岐する行き止まりの“盲腸線”であり、また、同線の南側開通済区間も、大成区宮野で国道229号から北に向かって分岐する、やはり“盲腸線”なのです。
ただ、未開通区間の道路は大半が完成しているそうで、この区間は来年には開通(道道740号線の全通)が予定されているとも云われています。

私は昨日、自分の運転する車で札幌からせたな町大成区まで行き(高速道路を使いましたがそれでも札幌からだと4時間以上かかりました)、大成区宮野からその道道740号線に入り、同線の南側開通済区間の終端(行き止まり)にある大成区太田まで行ってきました。
道道740号線は未開通ながらも、南側開通済区間の終端には太田という集落があるため、例え盲腸線であっても太田住民にとっては日常の生活を支えている、無くてはならない重要な路線です。

下の写真は、同線南側開通済区間の終端直前の道路に設置されている、「この先はまだ開通していないため、瀬棚・北檜山方面へは通り貫けできません」という事を表している案内標識です。この案内標識にも示されているように太田には漁港があり、もし、道道740号線の南側開通済区間が気象条件等によって閉鎖された場合は、太田は陸の孤島となるため、この漁港から漁船によって他地域と連絡する事になります。

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下の写真は、上の写真の案内標識のすぐ先にある、同線南側開通済区間の終端部です。このゲートから先は通行禁止になっていますが、道路はかなり先まで続いているように見受けられました。

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上の写真のゲートから望遠で撮影した、未開通区間にあるトンネルの坑門です。海岸には断崖絶壁が続くため、未開通区間には長大トンネルが続いているものと思われます。

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同線の未開通区間が開業すると、渡島半島は福島町から知内町にかけての一部の区間を除き、ずっと海岸線に沿って走る事ができるようになります。開通が待ち遠しいです。

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2010年4月12日 (月)

札幌~余市間の道路トンネル一覧

先週、所用により車で後志管内の余市町へと行ってきました。
札幌~小樽は高速道路(札樽自動車道)を、まだ高速道路が無い小樽~余市間は一般道(国道5号)を走るルートで、札幌~余市間を往復してきたのですが、このルートにはトンネルが全部で10箇所もあり、その全てが小樽市内にありました(但し畚部トンネルだけは小樽・余市の境界にありましたが)。
以下に、助手席から同乗者に撮影して貰ったその10箇所のトンネル坑門の写真を、札幌から余市へと向かう順にアップさせて頂きます。


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▲ 新張碓トンネル(札樽自動車道)
銭箱IC~朝里IC間にあり、札樽道に3箇所あるトンネルの中では最も東側(札幌寄り)に位置しています。

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▲ 朝里トンネル(札樽自動車道)
朝里IC~小樽IC間にあり、このトンネルを抜けるとすぐに若竹トンネルへと入ります。

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▲ 若竹トンネル(札樽自動車道)
朝里トンネルと共に住宅地の真下を通るトンネルで、このトンネルを抜けると小樽の市街地が広がります。

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▲ 砂留トンネル(一般国道5号)
延長460m。小樽の市街地にあるトンネルで、御覧のように坑門はアンダーパスのようになっています。

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▲ 長橋トンネル(一般国道5号)
延長約1km(上下線で長さが少し異なります)。これも小樽の市街地にあるトンネルで、上下線が分離した構造のトンネルになっています。

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▲ 塩谷トンネル(一般国道5号)
延長541m。このトンネルから先は片側1車線のトンネルになります。砂留トンネルや長橋トンネルに比べるとかなり狭く感じます。

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▲ 笠岩トンネル(一般国道5号)
延長370m。塩谷トンネルを抜けるとすぐに笠岩トンネルへと入ります。

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▲ 桃内トンネル(一般国道5号)
延長370m。海岸線沿いの断崖の下を貫いているトンネルです。

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▲ 忍路トンネル(一般国道5号)
延長505m。少し海岸線を離れますが、このトンネルも海からはかなり近い場所にあります。

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▲ 畚部トンネル(一般国道5号)
延長46m。後志管内の国道トンネルの中では最も短いトンネルで、このトンネルを抜けると余市町です。

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2010年3月27日 (土)

いよいよ開業が迫ってきた札幌駅前通地下歩行空間

現在、札幌都心を南北に貫く札幌駅前通(道道18号札幌停車場線)地下の、地下鉄のさっぽろ駅~大通駅間では、「札幌駅前通地下歩行空間」という名称の歩行者専用地下通路が建設されています。

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平成15年に札幌駅南口にJRタワーがオープンして以降、札幌駅周辺には次々と大型商業施設が建設されるなどしているため、以前に比べるとかなり様変わりしつつはありますが、基本的に札幌の都心は、長い間ずっと、北海道の政治・経済の中心地として栄えてきた官庁街・ビジネス街の札幌駅周辺地区(大阪でいえばキタ=梅田に相当)と、商業の中心地として栄えてきた繁華街の大通・すすきの地区(大阪でいえばミナミ=難波に相当)とに二分されてきました。
しかし、それぞれが少し離れている大阪のキタやミナミとは違い、札幌駅地区と大通地区は南北に隣接しており、地下鉄だと僅か一駅分の至近距離にあるため、さっぽろ駅~大通駅間は地下鉄には乗らず徒歩で移動する人もかなり多いのですが(ちなみにJRの駅は「札幌」、地下鉄の駅は「さっぽろ」と表記します)、両地区の間には歩行者用の地下通路が無かったため、雨や雪が降っている時などは難儀する歩行者が少なくありませんでした(特に高齢者や障害者には大変でした)。

そのため、歩行者の利便性を向上させ(バリアフリーにも対応)、また、二極化している札幌都心の回遊性を高めるため、さっぽろ駅と大通駅を連絡する地下通路の建設がずっと待ち望まれていたのですが、諸般の事情(主に費用の問題)により、なかなか実現できずにいました。
そもそも、札幌駅前通の地下は地下鉄南北線を建設する際(昭和40年代中頃)に一度掘削しているのですから、その時に地下通路も同時に建設しておけば、再び同じ区間の地下を掘るという二度手間は省けたはずなのですが、当時はそこまで将来の需要が予測できなかったのか、地下通路までは建設されなかったのです。
こうしていろいろと紆余曲折はあったものの、平成17年、ようやく、さっぽろ駅南北線南改札口~大通駅南北線北改札口の間で地下通路の建設工事が始まり、まずは、地下通路を建設する階層(地上の道路と、地下鉄の路線がある階層の間)に埋設されている各種設備(水道管・ガス管・電気関係の配線など諸々)を移設する作業から始まり、その後、地下通路本体の建設が着工し、現在は、平成22年度中の完成を目指し、工事は最終工程を迎えつつあります。

既に大通駅と南北線すすきの駅との間は地下街(ポールタウン)で繋がっており、また、大通駅と東西線バスセンター前駅との間も地下通路で繋がっているため、「札幌駅前通地下歩行空間」が完成すると、JR札幌駅の北口からすすきの駅やバスセンター前駅までが大通駅を介して地下通路で直結される事になり、四季を通じて誰もが天候に関係なく札幌の都心を安全・快適に歩いて移動できるようになります。

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この地下通路「札幌駅前通地下歩行空間」(但し上の図では「札幌駅前通公共地下歩道」と表記されています)の延長は約460m(国道約16m含む)で、幅員は20m(歩行空間12m+憩いの空間2m×2)で、以下の図がその断面計画図です。

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当初は、ポールタウンやオーロラタウンのような地下街として建設する案も検討されていたのですが(そのほうが人の往来は多くなり更に賑わうでしょうから)、しかしテナントを設置して地下街という形にしてしまうと国からの補助が出なくなるため、最終的には、地下街としてではなく地下歩道として建設し、沿道のビル事業者にその地下通路との接続を促すという形を採る事になりました。
地下街という形にならなかったのは個人的には少々残念ではありますが、しかしこの地下通路が完成すると、札幌駅周辺地区・大通地区・すすきの地区の行き来がしやすくなり、都心の活性化には大きな効果が期待できます。

現在、この地下通路「札幌駅前通地下歩行空間」の建設工事の様子は、大通駅南北線北改札口の裏に開設されている専用の見学窓から見学する事ができます。
以下の写真は、昨日私が撮影してきた、その見学窓と、見学窓からさっぽろ駅方面を望んだ「札幌駅前通地下歩行空間」の現在の様子です。御覧のように、内装はまだですが、通路自体はほぼ完成しています。

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3月から4月にかけてのこの時期は、天井の空調・配線工事が行われており、この後、壁パネル工事、天井ルーバー工事、床石貼り工事などを経て完成・開通する事になります。

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2010年2月23日 (火)

昔は札幌を代表する心霊スポットだった小別沢トンネル

私が小学生だった頃は、平和の滝、西岡水源地、そして小別沢トンネルが、札幌の“三大心霊スポット”と言われ、これらの三か所では、嘘か真か幽霊を目撃しただの心霊写真が撮れただのといった話が多く聞かれ、若者達が肝試しで訪れる定番のスポットでもありました。
ところが、現在の小別沢トンネルは、心霊スポットらしい陰湿な雰囲気はほとんどありません。平成15年に新しく造り直さそれ、かなり明るい雰囲気のトンネルになったからです。
下の写真が、昨日撮影してきた、現在の小別沢トンネルの坑門(上段が宮の森側、下段が小別沢側)です。

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上の写真では至って普通のトンネルに見えるので、「これのどこが明るい雰囲気のトンネル?」と思われるかもしれませんが、造り替えられる前の旧・小別沢トンネルは、昼間でも通るのが怖い程、かなりおどろおどろしい雰囲気を醸し出していました。
一車線分の幅しかない狭いトンネル(車は坑門に取り付けられた信号機による片側交互通行)で、しかも素掘りだったため内部は岩肌が直接露出しており、照明も常に暗く、湿度も高く、「なんか出そう」的な雰囲気が極めて濃厚なトンネルだったのです。
下記URLに、昔の小別沢トンネルの写真が掲載されておりますので、興味のある方はこちらを御参照下さい。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~s-tamaki/kobetu.html
http://kirikomitai.com/kirikomi/tunnel-kobe.html

西区小別沢と中央区宮の森とを結ぶ小別沢トンネル(トンネルの中央部に西区と中央区の区堺があります)は、昭和3年、農作物の輸送時間を短縮するために小別沢地区の有志の人々が発破をかけながらノミなどを使う人力作業で完成させたトンネルで、このトンネルの完成により、それまで小別沢から宮の森方面へと行くのに山道を2時間以上歩かなければなかった道程が大幅に短縮される事になりました。
昭和30年には、小別沢地区のあった琴似町が札幌市に合併されたのを機に、小別沢トンネルに通じる道路が市道に認定され、小別沢トンネルは開通から通算約70年もの長い間、小別沢地区の人々の生活道路として、また、西区の小別沢や福井方面から中央区へ向かう際のショートカットとして、市民に利用されてきました。

しかし、長年に亘る使用のためトンネル内部の岩盤風化による老朽化が著しく、また、全幅が3.5m程度と非常に狭かった事から(乗用車1台がようやく通る事ができる幅でした)、円滑な通行や安全確保を図る必要が生じ、そのため平成11年からトンネルを閉鎖し、新しい小別沢トンネルの建設が始まりました。
そして平成15年4月25日、延長231.5m、道路幅員9.5mの現在のトンネルが開通したのです。旧トンネルに比べるととても大きなトンネルになり、また、トンネル前後の道路(いずれも勾配のきつい坂道)には、小別沢側約70m、宮の森側160mの区間にロードヒーティングも設置されました。
なお、宮の森側の坑門は旧トンネルと同じ場所ですが、小別沢側の坑門は新しい場所に建設されました(そのため旧トンネルの小別沢側坑門は入口が封鎖された状態で現存しています)。

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上に貼付のマンガは、西区西野の町内会が主体となっている「西野ものがたり編集委員会」が平成20年3月に発行した全50ページの冊子『マンガ 西野の歴史 わたしたちのまち西野』からの転載で、この2ページに、小別沢トンネルが建設された当時の様子が分かりやすく描かれています。

ちなみに、昔の小別沢トンネルは、「このトンネルは戦時中の強制労働で造られ、何人もの人が人柱になって埋められている」などの、いろいろとおどろおどろしい噂が絶えませんでしたが、それらの噂の多くは、トンネルの陰湿な雰囲気から生みだされたものであり、事実ではありません。

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2009年10月13日 (火)

白亜紀へのロマンを駆り立てる神泉隧道

8月3日の記事で報告させて頂いたように、2ヶ月半程経前の8月1日、私は、札幌から高速道路を使って1時間程の距離にある三笠市という、かつて炭鉱で繁栄した街へと行って、市内にある炭鉱の立坑跡や坑口跡、発電所跡、鉄道(幌内線)の廃線跡などの産業遺跡を探訪してきました。

その際、沿道に今もなお多くの化石が残る「三笠化石ロード」という、幾春別川沿いの散策路(昭和10年に開通し昭和30年に廃止された幾春別森林鉄道の廃線跡を整備した遊歩道)も歩いてきたのですが、その散策路にあったのが、下の写真のトンネル「神泉隧道」です。
この写真は、神泉隧道の西側(市立博物館側)の坑口です。

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そして、下の写真2枚が、トンネル内部の写真です。
御覧のように素堀りのトンネルで、両側の坑口近くの内壁はコンクリートで補強されているものの、中央部は岩肌が露出しており、その岩肌には、白亜紀中生代「三笠層」の砂岩(さがん)や礫岩(れきがん)の他、一部小さな石筍(せきじゅん)なども見え、白亜紀(今から1億4,300万年前から6,500万年前の時代で、恐竜やアンモナイトが全盛を迎えていた時代)へのロマンを掻き立ててくれます。

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下の写真は、神泉隧道の東側(桂沢湖)側にある坑口です。
短いトンネルではありますが、なかなか面白いトンネルでした。

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