青函トンネル

2013年3月14日 (木)

青函トンネルの開業から四半世紀が経ちました

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昭和63年3月13日、即ち丁度25年前の昨日、北海道と本州を結ぶ交通の大動脈であり、世界最長の海底トンネルでもある「青函トンネル」が開業しました。

開業25周年を記念して、『青函トンネル25周年 利用客底上げ 新幹線に期待』というタイトルと『初年306万人 → 昨年度135万人 → 3年後試算347万人』という副題で、今朝の北海道新聞朝刊に掲載された記事を以下に転載させて頂きます。
青函トンネルの現状と今後について、分かりやすく簡潔にまとめられています。

 

北海道と本州を結ぶ青函トンネル(53.85キロ)は13日、開業25周年を迎えた。海底トンネルとして世界一の長さを誇り、この四半世紀に延べ約4850万人が行き来した「大動脈」だ。3年後には北海道新幹線が開業予定で、高速輸送の一翼を担うべく、工事が急ピッチで進んでいる。(経済部 米林晴、函館報道部 田中雅章)

北東北と交流増 経済活性化の弾みに

「これまでは在来線だったが、ようやく新幹線という本来の目的に沿った機能を果たすことで、利用客数も回復すると思う」。JR北海道の小池明夫社長は13日の定例会見で笑顔を見せた。
1988年3月開業の青函トンネルは、新幹線の規格に合わせた複線トンネルとして建設され、現在も1日に旅客列車が26本、貨物列車が51本走る。新幹線工事は列車が走らない深夜の時間を活用。新幹線のレール敷設や架線の移設工事は終了し、現在はレールの高さ調整や信号施設の設置などが行われている。

青函トンネルの輸送人員は開業初年こそ306万人を記録したが、空路との競争などで減少し、ここ数年は150万人台で推移している。東日本大震災直後の昨年度は135万人まで落ち込んだ。
北海道経済連合会などは北海道新幹線開業による輸送人員を年347万人と試算。函館商工会議所の松本栄一会頭は、「新幹線開業で道南と北東北の交流人口が増えるのは確実で、経済活性化の弾みとなる」と期待を寄せる。

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貨物も減少傾向

貨物輸送は1996年に569万トンを記録したのをピークに減少傾向にある。2000年は有珠山噴火で室蘭線が不通になり、大きく落ち込んだ。翌年には500万トン台を回復したものの、フェリーなどに貨物の一部が流れ、微減が続く。
JR貨物は「秋冬の農産品を中心に、道内発の輸送需要を喚起したい」(北海道支社)と話す。
3年後の新幹線開業後も、青函トンネルは「共用走行区間」となり、貨物列車が走行する。JR貨物は在来線と新幹線の両方の電圧に対応した新型電気機関車「EH800形」を開発し、2月末に五稜郭機関区(函館)に試作車1両を配置。性能確認試験を始めた。今後、青函トンネルを含む走行試験に移る見通しだ。

維持費負担増も

青函トンネルは、鉄道建設・運輸施設整備支援機構(鉄道・運輸機構)が所有し、JR北海道が使用料(本年度は2億6千万円)を払っている。大規模補修を除く通常の点検、補修はJR北海道が担当する。
トンネルの老朽化が進んだことから、JR北海道などは1999年、同年から30年間のトンネル維持費用を1107億円と試算した。
トンネルの維持管理費と電気代としてJR北海道は本年度に計4億円を負担した。設備のさらなる老朽化による負担増が懸念されており、輸送の底上げで収入を増やすことが課題となっている。

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2010年8月30日 (月)

青函トンネルの斜坑ケーブルカー

前回の記事では、「竜飛海底駅からケーブルカーに乗り換え、一旦地上に上って青函トンネル記念館を見学してから、再度ケーブルカーに乗って竜飛海底駅へと戻った」という事を書かせて頂きましたが、今回は、その時私が乗車した、全線トンネル(斜坑)を走るケーブルカーを紹介させて頂きます。

このケーブルカーが走る路線は、正式には「青函トンネル竜飛斜坑線」といい、元々は、青函トンネル建設工事の際に人員・資材等を運搬するために使われていたのですが、青函トンネル開業後は観光用に転用され、現在は財団法人青函トンネル記念館により運営されています。
路線は、海底下の「体験坑道駅」(竜飛海底駅構内)と地上の「青函トンネル記念館駅」を結ぶ約800mで、地上の建物内にある青函トンネル記念館駅の部分を除き、全線がトンネルになっています。
所要時間は平均8分(下りが9分、上りが7分)で、1両の車両が折り返し運転をするだけなので(路線中間部で列車の交換などは行われません)、運転されている車両は「もぐら号」の1両のみです。

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▲ 青函トンネル記念館駅に停車中のもぐら号。 定員は40名です。

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▲ 青函トンネル記念館駅にある、厳重な鉄製のゲート(風通門)。 通常は閉まっており、ケーブルカーが通る時だけ開けられます。 

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▲ ケーブルカーが発車する直前にゲートが開けられました。 ここにのようなゲートがあるのは、保安上の理由や、気圧の調整などのためです。

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▲ 斜坑内に敷設されているケーブルカーの軌道。 軌道の隣には柵を隔てて階段があります。

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▲ 線路の分岐地点。 地上から降りてきた場合、地下の体験坑道駅に着く直前に、線路が分岐しているのを確認する事ができますが、この分岐している支線は現在は使用されていません。青函トンネル建設時には、資材運搬のトロッコなどが走っていたのでしょう。

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▲ 体験坑道駅。 走行中のケーブルカー車内からスローシャッターで撮影したたためブレてしまいましたが、斜坑内にある海底駅独特の雰囲気は伝わるかと思います。

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2010年7月29日 (木)

16年ぶりに青函トンネルを見学してきました

今から16年程前の平成6年11月、当時まだ未成年だった私は、父と一緒にJR北海道の企画するツアーに参加して青函トンネル内を見学してきたのですが、昨日、私はその時以来およそ16年ぶりに、再び青函トンネル内を見学してきました。

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16年前の時は、函館からバスに乗って福島町吉岡まで行き、吉岡から青函トンネルの斜坑(海底下まで延々と続く階段)を歩いて降りて、青函トンネルに2つある海底駅のうちの一つである吉岡海底駅へと行き、同駅構内を見学してから、海底下にある同駅から快速「海峡」に乗って函館へ戻るというルートで見学してきましたが、今回は、函館から特急「スーパー白鳥」に乗って、もう一方の海底駅である竜飛海底駅へと向かい、同駅で下車してケーブルカーに乗り換え一旦地上(津軽半島最北端に位置する青森県の龍飛崎)に出て青函トンネル記念館を見学してから、再度ケーブルカーに乗って竜飛海底駅へ戻り(上に貼付の写真がそのケーブルカーの乗車券です)、同駅構内を見学した後、同駅から特急「白鳥」に乗って函館へと戻るというルートで青函トンネル内を見学してきました。
ちなみに、函館~竜飛海底間の特急の所要時間は約1時間、竜飛海底駅とその周辺での見学時間(ケーブルカーに乗っていた時間や地上の青函トンネル記念館に滞在していた時間も含めます)は2時間20分でした。

なお、私が16年前に青函トンネルを見学してきた時に撮影した写真は以下の記事に貼付しておりますので、宜しければこれらの記事もお読み下さい。
http://tunnellove.cocolog-nifty.com/blog/2008/03/post_4cbf.html
http://tunnellove.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_d154.html

私が16年前の見学時に乗車した快速「海峡」は、今は既に無く(平成14年に廃止されました)、また、当時私が見学した吉岡海底駅も、北海道新幹線建設工事に伴い平成18年から運用を休止しており(恐らく駅として営業を再開される事はもう無いと思われます)、更に、青函トンネル開業に伴い上野~札幌間を結ぶべく華々しくデビューした寝台特急「北斗星」もその後減便され、青函トンネル開業に沸いていた当時に比べるとすっかり落ち着いてしまった感のある現在の状況には一抹の寂しさを感じてしまいます…。
しかし私にとっては、北海道民の悲願として24年の大工事の末に生まれ、開業から20年以上を経た今でもまだ世界最長(トンネルの全長は53.85km)の記録が破られていない「青函トンネル」は、世界最長の吊橋である本四連絡橋の一つ「明石海峡大橋」と共に、日本が世界に誇る最高水準の巨大土木建築物であり、技術力と叡智の結晶であると確信しています!

今回見学してきた竜飛海底駅は、吉岡海底駅同様、北海道新幹線の新青森~新函館間が開業する5年後までには駅として廃止される予定(廃止後の竜飛海底駅は本来の「定点」の機能に戻ります)であり、両海底駅が廃止されると、鉄道専用トンネルである青函トンネルを一般の人が歩く機会はまず無くなるであろう事から、私にとっては恐らく今回が青函トンネルの中を歩く事のできる最後のチャンスだと思い、昨日は少しセンチメンタルな気持ち(笑)になりながら、青函トンネルの中を歩いてきました。

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▲ 青函トンネル 本坑
竜飛海底駅のホームから撮影した、青函トンネルの本体である本坑と、本坑に敷設されている海峡線の線路です。
青函トンネル内の両海底駅は、一応、相対式2面2線のホーム(長さは500m)を持つ旅客駅という扱いではありますが、もともと駅として造られた施設ではないため、ホームの幅は極端に狭く(このホームは事故発生時などの非常時に列車から下車して避難するためのものとして設置されました)、そのため海底駅に停車する列車は、常に所定の車両のドア(誘導路に直接接するドア)のみ開閉し、非常時以外この駅で列車のドアが一斉に開く事はありません(現在竜飛海底駅に停まる特急の「スーパー白鳥」と「白鳥」は、2号車のドアのみを非常ドアコックで開閉しています)。

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▲ 青函トンネル 本坑と誘導路
向かい側のホームから本坑の外側に向ってが奥に伸びている通路は誘導路で、この通路は避難所に通じています。
万一、青函トンネル内で列車火災やその他の事故が発生した場合、その列車は、(もし炎上しているような状態であったとしても)とりあえず最寄のどちらかの海底駅まで自走し、そこで停車して乗客を降ろして消化作業を行い、降りた乗客達はこの誘導路を通って、安全な避難所まで避難します。

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▲ 竜飛海底駅 待合所
ホームから誘導路を数m先に進んだ所にある待合スペース。もし、予定より早めに見学を終えたり、あるいは列車の到着が遅れた場合、乗客達はここで列車の到着を待つのでしょう。その狭さ故、ホームに出て列車を待つ事はできないですからね。

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▲ 青函トンネル 作業坑
青函トンネルは、本坑(鉄道が走っているトンネル)の他に、本坑の周囲には誘導路、作業坑、先進導坑、それらを連絡する各通路、斜坑、ケーブル斜坑、立坑、排煙坑道などのトンネルが伸びており、しかもそれらのトンネルは、上の写真のように各所で枝分かれしているため、まるで地下迷宮みたいな感じになっています。
案内する人がいないと、ほぼ確実に迷います。青函トンネルはただの一本のトンネルではないのです!

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▲ 青函トンネル ケーブル斜坑
作業坑に接していた、ケーブル斜坑の入口です。ここが、トンネルから地上(龍飛崎)への一番の近道らしいですが、その内部を見る事はできませんでした。

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▲ 青函トンネル 作業坑
作業坑の各所には、上の写真のようなゲート、もしくは分厚くて頑丈な扉などが設置されていました。ごく一部の通路や場所が見学客のために開放されているだけで、当然といえば当然なのですが、青函トンネルの大半の場所は関係者以外は立入禁止となっています。

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▲ 青函トンネル 排水施設
これは排水のためのポンプ設備です。海底下にある青函トンネルの天井や壁からは、常に湧水が染み出ているため、ポンプ設備は必須です。

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▲ 青函トンネル 誘導路
ここの壁は、素掘りに近い、ゴツゴツとした感じでした。なお、床面に敷設されているレールは現在は使用されておりません。青函トンネル建設時には、恐らくこのレールの上を、人員・資材・土砂などを運搬するトロッコが走っていたのでしょう。

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▲ 青函トンネル 避難所
150mの長さがあり、500人が座れるベンチが用意されています。「男子更衣室」「女子更衣室」と表示された部屋があるのは、寝台列車から乗客が避難してきた場合、浴衣や寝巻などを着ているかもしれないので、その着替えのためです。

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▲ 青函トンネル 避難所
避難所全景。電話ボックスも置かれており、この公衆電話は世界初の海底公衆電話らしいです。また、青函トンネルの概要や建設時の様子を伝えるパネルなども展示されています。

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▲ 青函トンネル 作業坑
ケーブルカーの地下駅のすぐ近くにある場所で、トンネル建設時はここで資材を降ろしていたそうです。
なお、本坑に敷設されているレールが寒さや暑さで伸縮しないように、トンネル内の温度は常に18~20℃に保たれているため、特に夏のこの時期は涼しくて快適でした。

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▲ 青函トンネル 体験坑道
トンネル掘削のための機械やトロッコなどが展示されています。

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▲ 青函トンネル 体験坑道
トンネル掘削時の様子が実物大で再現されています。

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2009年11月15日 (日)

青函トンネルを題材としたドキュメンタリー映像作品

壮大な国家プロジェクトであった青函トンネルの建設を題材とした映画として、昨年6月24日の記事では『風雪の海峡 青函トンネルは、今…』という映画を、また昨年7月7日の記事では『海峡』という映画を、それぞれ紹介させて頂きましたが、今日は、青函トンネル建設を題材としたドキュメンタリーのDVDを2本紹介させて頂きます。


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まず一本目は、平成12年にNHKで放送され、翌13年にNHKエンタープライズからDVDとして発売された、「プロジェクトX 挑戦者たち 友の死を超えて ~青函トンネル・24年の大工事~」という、43分の作品です。

プロジェクトXは、戦後日本のエポックメイキングな出来事や、様々なプロジェクトの舞台裏で困難に立ち向かい成功させた無名の挑戦者達の記録を、ドラマティックに描いたドキュメンタリー・シリーズで、(昨今のNHKのドキュメンタリー番組は大幅に質が下がり、特定のイデオロギーに立った偏向報道も目立つようになってきましたが)プロジェクトXはかなり良質な番組が多かったため、当時は私もよく見ていました。
そして、そのプロジェクトXのシリーズの中でも、青函トンネルが完成するまでのトンネルマン達の命を懸けた苦闘と情熱を感動的に描いた、平成13年に放送されたこの「友の死を超えて ~青函トンネル・24年の大工事~」は、特に強く印象に残っています。
以下、このDVDのパッケージから作品の紹介文を転載させて頂きます。

24年におよぶ歴史的難工事の末、完成した「青函トンネル」。最初のパイロット坑である「先進導坑」を掘り抜いたのは、鉄建公団の若き技術者と、トンネル工事のプロ職人74人を中心としたプロジェクトだった。
複雑な地層を掘り進む海底掘削工事は、出水との戦いであった。プロジェクトは、試行錯誤の末、岩盤に細かな注入穴をあけ、高圧で特殊なセメントを流し込み地層を固めて掘り進むという新技術を開発する。しかし難工事のなかで死亡事故が続発。昭和44年に起こった大規模な出水事故を全員で乗りきったことが、その後の出水対策を飛躍的に進歩させる原動力となる。
そして昭和58年、仲間の遺影が見守るなか、先進導坑貫通の瞬間を迎えた。青函トンネルに人生を賭けたトンネルマンだちの苦闘と情熱を描く。

大規模な出水があっても、現場で死者が出ても、その苦労や悲しみを心に秘め前人未到の困難な工事をやり遂げ、そして、トンネル貫通の瞬間を迎え北海道と本州が繋がった時、トンネルマン達が殉職した同僚の遺影を胸に掲げ、彼らと一緒に貫通地点を越える場面では、思わず目頭が熱くなります。
名作なので、まだ観ていない方は是非一度観て下さい!


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そして二本目は、平成19年にジェネオンエンタテインメントよりDVDとして発売された、「重厚長大・昭和のビッグプロジェクトシリーズ 青函トンネル 総集編 本州側工事の記録」という、40分の作品です。
この作品は、DVDとして発売されたのは近年ですが、作品としては「友の死を超えて ~青函トンネル・24年の大工事~」よりも大分古い作品で、この作品が完成した時点ではまだ青函トンネルは開業していませんでしたが、昭和60年3月の本坑貫通の瞬間までは工事の記録が克明に収録されています。
以下、このDVDのパッケージから作品の紹介文を転載させて頂きます。

「日本鉄道建設公団青函建設局」の設計管理の下に「鹿島・熊谷・鉄建・青函隧道工事共同企業体」が施工した竜飛工区の「作業坑」「本坑」の施工記録。
青森県浜名~北海道湯ノ里の全長53.85km、当時世界一長いトンネル工事であった。
海底部の長さ23.3km、海面下240mで繰り広げられた世紀の難工事。
作業坑では自然の脅威により何度となく異常出水に見舞われ行く手を阻まれたが、工事関係者の英知と技術力を結集し、ついに昭和60年3月10日午前10時05分に津軽海峡の中央で北海道側とつながった。
トンネルを掘り抜いた男たちが北海道側に歩いて渡る感動の本坑貫通式。
掘削開始から実に13年間、岩盤と水との戦いのすえ、世界のトンネル技術史上また20世紀の土木技術史上に残る青函トンネルは完成した。

この作品は、感動的で熱い人間ドラマを描いた「友の死を超えて ~青函トンネル・24年の大工事~」とは違い、あくまでも、本州側工区からの“青函トンネルの施工記録”として(むしろドラマ性やエンターテイメント性は排除する方向で)作られた作品であるため、「友の死を超えて ~青函トンネル・24年の大工事~」に比べるとドラマティックな展開には欠け、トンネルや土木工事に興味がない人にはやや退屈に思えるかもしれませんが、しかし、土木技術史上に名を残す世界一の長大トンネルの工事の様子を克明に収録している、という意味では大変興味深く、資料としての価値が高い作品です。
この作品はかなりマニアックな内容なので(笑)、正直言って万人にお勧めできる作品ではありませんが、しかし「友の死を超えて ~青函トンネル・24年の大工事~」を観て感動した方は、是非この作品も併せて観て戴きたいです。

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2009年8月25日 (火)

青函トンネル開業記念下敷き

今から約21年前の昭和63年3月13日、北海道と本州を海底下で連絡する、総延長53.85kmの世界最長のトンネル「青函トンネル」が開業しました。
青函トンネルは、昭和29年の洞爺丸海難(洞爺丸を始めとする青函連絡船5隻が台風により沈没し乗客・乗組員合わせて1,430名が死亡した事故)以来、全道民がその完成を悲願としてきたトンネルで、24年間という長大な工事期間と、総工事費約6,900億円という膨大な資金、そして延べ人員約1,400万人という膨大な作業員を投入して、国家を挙げての超巨大プロジェクトとして建設が進められたトンネルでした。

その青函トンネルの開業当時に製作され、今でも私が大切に保管しているのが、以下の下敷きです(上段が表面で下段が裏面です)。

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下敷きの表面に記されている「青函博」というのは、青函トンネルが開業した昭和63年の7月9日~9月18日にかけて、青森市と函館市の両会場で開催された「青函トンネル開通記念博覧会」の事です。

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2009年3月13日 (金)

青函トンネル開業記念オレンジカード

昭和63年3月13日、即ち丁度21年前の今日、北海道と本州を結ぶ交通の大動脈であり、世界最長の海底トンネルでもある「青函トンネル」が開業しました。
当時の私はまだ子供でしたが、開業が間近に迫ってくると、テレビのニュースや特番などで青函トンネルが取り上げられる機会が段々と多くなり、連日ワクワクしながらそれらの番組を見ていた事を思い出します。
特に開業日は、「北海道民の長年の悲願達成!」「国家的規模の超巨大プロジェクトがついに完遂!」「北海道と本州が地続きに!」「稚内から鹿児島までの鉄路がついに一本に繋がる!」といったような、どちらかというと感情的ともいえる、派手な言葉やテロップが各メディアで踊り、私も大いに興奮したものです。

しかし、それから21年…。
開業当時の大フィーバーは既に過去のものとなり、青函トンネルの開業と同時に生まれた花形寝台特急の「北斗星」も減便され現在では1日1往復のみの運転となり、青函トンネル開業と同時に生まれた快速「海峡」も、今は既に走っていません。
平成17年になってようやく北海道新幹線の新青森~新函館間の建設が始まりましたが、開業から21年も経っているのに、青函トンネルには未だに新幹線も走っていません。
それに、青函トンネルが開業した後も、北海道と本州を結ぶ旅客輸送の主役が航空機である事は、結局何ら変わりませんでした。
残念ながら、青函トンネルの現状や未来は決して明るい訳ではないのです…。

とはいえ、勿論、マイナス要素ばかりではありません。
青函トンネルの開業によって、北海道と本州を結ぶ貨物輸送は天候に影響されない安定した安全輸送が可能となり、そのため現在では、1日50本もの貨物列車が青函トンネルを走っており、青函トンネルは国内屈指の物流の大動脈として機能しています。
しかも、鉄道は航空機・船舶・自動車などに比べて環境に優しいエコな交通機関である事が見直されてきており、今後も青函トンネルを走る鉄道貨物輸送の需要は高くなる事が見込まれており、物流の大動脈としての青函トンネルの地位は今後も揺るぎそうにありません。
また、現在はいまいち振るわない旅客輸送に関しても、北海道新幹線が開業し、将来札幌と東京が4時間程度で結ばれるようになると、航空機よりも優位に立てる可能性もあります。
ですから、青函トンネルからは今後もずっと目が離せないのです! …これはもう完全に私の感情論ですけど(笑)。

そんな訳で、今日は、青函トンネルの開業21周年を記念して、私が持っている青函トンネルのオレンジカード4枚を以下に紹介させて頂きます。

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現在、青函トンネル内では、平成27年度末に予定されている北海道新幹線・新青森~新函館間の開業に向けて、三線軌条化工事が進められています。
また昨年末には、政府・与党の整備新幹線作業部会に於いて、未着工の北海道新幹線(新函館~札幌間)のうち札幌~長万部間を平成21年度中に着工する方針が合意され、これによって、長年未定であった北海道新幹線の札幌延伸は事実上確定しました。今後の展開が楽しみです!

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2008年7月 7日 (月)

映画『海峡』

前回の記事では『風雪の海峡』という映画を紹介させて頂きましたが、青函トンネルを主要な舞台とした映画としては、今日紹介する『海峡』という映画も忘れる事のできない傑作の映画です。というよりも、『風雪の海峡』よりも更に長編(丁度2倍の時間に当たる142分)、豪華キャスト(主人公は高倉健、ヒロインは吉永小百合で、森繁久彌・三浦友和・小林稔侍なども出演)で製作された『海峡』の方が、青函トンネル映画としてはより大作と言うべきでしょう。当然、その分ストーリーもより深くなっています。
また、『風雪の海峡』が昭和53年の作品だったのに対し、後発の『海峡』は先進導坑が開通した後の昭和57年の作品であるため、映画のラストでは実際に先進導坑が開通する場面が描かれ、その時、初めて涙を流す主人公の姿には、観ている方としても感動させられました。

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同作品のDVDパッケージには以下の紹介文が書かれています。
「昭和32年の調査以来、国鉄の技術団員の阿久津は青函トンネル開通に執念を燃やしていた。7年後、ようやく開始の号令が出るや、阿久津を始めベテランのトンネル掘りの源助、洞爺丸で両親を亡くした仙太など海を掘ることに憑かれた男たちが函館に集結。岩盤と水との闘いが始まった。その一方で、阿久津に命を救われた過去を背負う多恵、飲み屋の女将おれんとその娘・峡子、そして遠く岡山にいる阿久津の妻が、それぞれの想いで男たちを見守る。何年も、そして苦難の道を…。高倉健ほか豪華キャストで描く、東宝創立50周年記念超大作!」

毎日が自然との闘いとも言える竜飛での過酷な生活を中心に、青函トンネルの建設に人生を賭けた男達の熱い生き様が描かれており、トンネル好きにはたまらない映画です!
主人公の阿久津は、洞爺丸台風、津軽海峡に潜っての地質調査、竜飛岬で自殺しようとする女性を助ける、竜飛で飲み屋の女将の娘の名付け親となる、明石海峡調査の辞令が下りて津軽海峡に心を残しながらも竜飛を離れる、地元岡山で結婚して息子をもうける、青函トンネルの建設が始まり再び津軽海峡へと戻る、トンネル掘りの名人達を口説いて竜飛へと連れて来る、妻と息子も竜飛に来るものの竜飛の過酷な自然に耐えられず岡山へと帰り妻は岡山で息子を育てる、トンネル工事は難航し何人もの殉職者が出る、異常大出水に見舞われその指揮のため父の死に目にも間に合わなかった、などの数々の経験を経て、ついに先進導坑開通の瞬間を向かえ、その時、本州から北海道へと初めて風が吹きぬ貫け、トンネル工事は一つの区切りを迎えました…。
青函トンネルという現実の工事現場を舞台としながらもストーリーはあくまでもフィクションですが、トンネル工事の様子はかなりリアルに描かれており、必見です。

また、『風雪の海峡』では主人公の妻も娘も父親の職業に対しては全く誇りを持っておらず(妻は「人間のする事じゃない」、娘は「私は所詮モグラの娘」などと言う)、竜飛に住む周辺住人もトンネル掘りの男達に対して理解を示さなかった(主人公の娘を「モグラの娘」と言っていじめる)のに対し、『海峡』では周囲の人間達がいずれもトンネルの建設に理解を示している点も、温かさが感じられてとても良かったです。
DVDの値段は4725円(税込)で、『風雪の海峡』よりは高額ですが、その価値は十分あります!

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2008年6月24日 (火)

映画『風雪の海峡』

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先日、『風雪の海峡 青函トンネルは、今…』という映画のDVDを観ました。その名の通り、青函トンネルを舞台とした映画で、まだ青函トンネルは開通していなかった昭和53年に製作された、全70分の中編映画です。
ネタバレとなってしまうのでストーリーの結末などはあえて書きませんが、DVDのパッケージには以下の紹介文が書かれています。

「20世紀最大の土木事業といわれた青函トンネル工事!その過酷な状況の中で生きた男と女の物語。
昭和46年、腕の良いトンネル坑夫の保造はトンネル工事の仕事を終え故郷に帰ろうとしていた。だが、そんな保造に青函トンネルの仕事が舞い込む。常に危険をともなうトンネル工事への恐怖心から猛反対する妻をよそに、保造はその困難なプロジェクトにトンネル掘りとしての生きがいを見出す。それから時は経ち、工事も半ばまで進んだ頃、“モグラの子”として虐められていた娘たちも成長し、長女は父と同じ坑夫の杉ノ目と出会い、愛し合うようになっていくのだった。」

この映画では、青函トンネル建設現場の様子や工事の様子が詳細に描かれており、また、昭和51年5月に発生した瞬間最大毎分85トンの大出水事故を乗り切る様子も大きな見せ場となっていて、ストーリー的にはもうちょっと先まで描いて欲しかったという気もしますが、定価が500円という安さのDVDの割にはなかなかの秀作といえる作品で、トンネルが好きな人にとってはかなり見所の多い映画です。

「トンネルは、岩山に穴を開けた単なる道ではない。それは経済を発展させる動脈であり、文化や豊かな社会を運ぶ一本の道である。トンネルの中は闇、しかしそこを抜ければ新しい世界が開ける」と言う、映画冒頭に流れる丹波哲郎さんのナレーションも印象的でした。
「何でトンネルが好きなの?」と訊かれた場合は、今度からはこのナレーションの言葉を借用して答えようかなと思いました(笑)。

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2008年6月 9日 (月)

吉岡海底駅のルミライトアート

北海道福島町の「吉岡海底駅」は、青函トンネル内(JR北海道・海峡線)にある、日本で最も低い位置(海面下149.5m)にある駅で(但し、現在は北海道新幹線建設工事に伴い運用休止中)、私は今から十数年前、その吉岡海底駅構内を見学してきた事があります。
その際、同駅構内に、ルミライトアート(特殊塗料であるルミライトにより発色・発光するブラックライトアート)が施された、トンネル状の通路がありました。とても綺麗だったので今でも印象に残っています。

以下の写真2枚は、当時撮影した、同駅構内にあったそのルミライトアートの通路です。当時はデジカメなどはなく(あったとしても全く普及しておらず)、下段の写真は、当時私が使っていた安物のコンパクトカメラでシャッター速度を遅くして撮影したものです。

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2008年3月14日 (金)

青函トンネル

昨日(3月13日)で、青函連絡船の廃止と青函トンネルの開業から丁度20年が経ちます。
その当時、私は中学1年生でしたが、テレビのニュースや新聞の報道などを見て、青函連絡船の廃止に郷愁を感じ、青函トンネルの開業に興奮したあの時の感覚は、今も鮮明に覚えています。
下の写真は、青函トンネルの本坑が貫通した直後の様子(昭和60年3月10日)です。

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明治41年の「比羅夫丸」就航以来、航海数70万回、地球2千周に匹敵する距離を走り続け、1億6千万人の旅客と2億4千万トンの貨物を運んできた青函連絡船も、青函トンネルの開業によってついにその使命を終える事になり、昭和63年3月13日、多くの人々に惜しまれながら80年の歴史に幕を閉じました。
そして、同日、北海道民の長年の悲願であった青函トンネルが開業し、北海道から鹿児島までが初めて鉄路により連結されました。
この日の午前7時23分、北海道と本州を結ぶ一番列車(函館発・盛岡行特急「はつかり」)が函館駅から超満員で発車し、青函の新時代が幕を開けたのです。

世紀の大建築物である青函トンネルは、北海道民が開業を長く待ち続けた、私達道民にとっては思い入れの強い特別なトンネルです。
青函トンネルの開業は、青函連絡船「洞爺丸」の沈没事故以来、全道民の悲願であり、総工事費約6,900億円、作業員の延べ人員約1,400万人、使用したセメントの量約85万トン(セメント袋を積み上げると富士山の850倍)、掘った土砂の量約630万立方メートル(霞ヶ関ビル12.1杯分)、工事期間約24年間という、国家を挙げての超巨大プロジェクトとして建設が進められました。
開業して丸20年が経った今でも、総延長53.85km(東京の山の手線一周半に相当する距離です)という世界最長海底トンネルの記録は未だ破られておらず、私は(これは大袈裟な言い方でも何でもなく)、青函トンネルは“人類の叡智の結集”であると思っています。

また、24年間もの歳月を要した青函トンネルの建設現場に於いても、様々なドラマが展開されました。
世界最大・最長の海底トンネル建設という、世界初の試みであるが故に、工事は幾多の試練と挫折を繰り返しながら進められ、何度もの異常出水にも遭い、特に昭和51年5月に発生した瞬間最大毎分85トンの大出水では、作業坑が3km、本坑が1.5kmにも亘って水没し、現場の作業員達がトンネル全体の水没を覚悟した程でした。

青函トンネルが他の山岳トンネルと大きく違う点は、海底下に建設された長大なトンネルであるため、トンネルへの湧水の源が海という無限の水源である事で、トンネルの掘削中に万一出水に遭うと、大事故に繋がる恐れがあり、場合によっては青函トンネルというプロジェクト自体をも左右する事態にもなりかねず、そのため青函トンネルの工事現場では、注入工法や吹付けコンクリート工法など新たな技術が考え出されました。結果的に、青函トンネルの建設は日本のトンネル掘削技術の発達に大きく貢献したのです。
しかし、それでも前代未聞のこの大工事が極めて危険な作業であった事には変わりなく、青函トンネルの建設工事では竜飛側で18人、吉岡側で16人、合わせて34人もの作業員が殉職しています。青函トンネル開業の陰で、34人もの尊い人命が犠牲になった事を、私達は永遠に忘れてはいけません。

青函連絡船や青函トンネルに対する道民の思いを本州の人に伝えるのはなかなか難しいのですが、宇高連絡船の廃止と瀬戸大橋の開業を体験した四国の人々には、この感覚が理解して戴けるかもしれません(笑)。
タイタニック号の沈没に次ぐ世界第二の海難事故とされる青函連絡船洞爺丸の沈没が、青函トンネル建設の機運を一気に高めたのと同様、洞爺丸の沈没に次ぐ世界第三の海難事故とされる宇高連絡船紫雲丸の沈没が瀬戸大橋建設の機運を一気に高めたという点でも、両者は共通しています。多くの犠牲者を出したという意味では、これは不幸な共通点と言うべきかもしれませんが…。

ところで、あまり知られていない事ですが、本坑が一本しかない一般の山岳トンネルと異なり、青函トンネルの海底には、本坑(列車が走るトンネル)の他に、先進導坑(海底の地質や水の出方を調査したり施工方法の検討や開発をするため、本坑よりも先行して掘られたトンネルで、現在は排水と換気のために使われています)や作業坑(常に本坑より先回りして連絡誘導路を造りながら、本坑と平行して掘られたトンネルで、機械・資材やズリを運ぶ役目を果たし、現在は保守のための通路として使われています)があり、その他にも、海底部以外では立坑や斜坑なども掘られており、青函トンネルは本坑を中心に複雑に何本ものトンネルが入り組んでいます。

残念ながら近年は、航空機や海運との競争激化で、青函トンネルを走る列車の輸送人員や輸送貨物量は減少傾向にありますが、平成27年の開業を目指して今年からは青函トンネル内に於いて北海道新幹線の工事が本格化します。新幹線が青函トンネルを走るようになると、20年前の開業時のように、再び青函トンネルが大きく脚光を浴びる事でしょう。

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上の写真は、今から十数年前に青函トンネルの見学会に参加した時に、当時の吉岡海底駅のホームから撮影した青函トンネル本坑(海峡線)です。
現在は在来線の列車しか走っていませんが、今年からはこの路盤に新幹線用のレールを敷設する三線軌道化の工事が始まり、将来はここを新幹線が走るようになります。

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上の写真3枚は、いずれも見学会の時に青函トンネル内で撮影してきた写真ですが、どれも本坑とは別の坑道で撮影したものです。青函トンネル内にはこういった坑道が沢山あり、案内の人がいなければ間違いなく迷います(笑)。
なお、3枚のうち一番上の写真ではレールが敷設されていますが、これはあくまでも作業用の軌道ですから、ここを本線の列車が走る事はありません。

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