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2013年10月

2013年10月28日 (月)

立山信仰発祥の地となった洞窟、玉殿岩屋

先月下旬、富山県の立山・黒部方面を旅行した際、私は、北アルプス立山連峰の主峰・雄山に登ってきました。
富士山・白山と共に日本三霊山のひとつとされる雄山(標高3,003m)は、古来から立山信仰(立山修験)最大の聖地であり、その山頂には雄山神社峰本社が鎮座している事から、私は以前から一度は雄山を登拝してみたいと思っており、この度、交通機関を利用して到達する事が出来る立山最高所の室堂平(標高2,450)までは鉄道やバスを乗り継いで行ったものの、そこからは約2時間かけて徒歩で山頂へと行って参りました。

 

今回の記事で取り上げるのは、山頂へ行く途中、というよりも、室堂平から登り始めてすぐの場所(雄山の中腹)にある「玉殿岩屋」という洞窟です。
下の写真は、雄山の山頂へ続く登山道からは一旦離れて、玉殿岩屋へと続いている道で写した光景です。大きな石がゴロゴロとしており、結構険しい道でした。

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そして、下の写真2枚が「玉殿岩屋」です。
立山開山伝説の舞台となった、立山信仰に於ける重要な聖地のひとつですが、洞窟の内部に立ち入る事は出来ず、入口のみの拝観となります。

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立山を開山し、後に慈興上人と称された佐伯有頼公が、立山へ導かれるきっかけとなったとなったエピソード(伝説)は、概ね以下の通りです。
ある日、佐伯有頼少年(当時16歳くらいであったと云われています)は、父が大事にしていた白鷹が遠くへと飛んでいってしまったので、その白鷹を追って立山の山中へと入っていきました。
山中では、突然現れた熊に襲われますが、有頼少年が素早く矢を放つとその矢は熊の胸に命中し、熊は血を転々と垂らしながら山間を縫って逃げていきました。有頼少年は熊の後を追いかけ、更に深い山奥へと入って行き、やがて、洞窟に着きました。
有頼少年はその洞窟の奥の様子を窺うと、洞窟の闇の中から光が輝き、そこに阿弥陀如来が現れました。阿弥陀如来の胸には有頼少年が放った矢が刺さっていて、血が流れていました。阿弥陀如来が熊の姿に化身して、有頼少年をこの洞窟へと導いたのでした。
阿弥陀如来は、「我、濁世の衆生を救はんがため此の山に現はる。或は鷹となり、或は熊となり、汝をここに導きしは、この霊山を開かせんがためなり」とお命じになり、感激した有頼少年は、一旦下山してから出家し、僧侶となって立山を開山造営し、立山信仰を広めたのでした。
その洞窟が、ここなのです。

 

下の絵はいずれも、このエピソードが描かれた、立山曼荼羅の一部です。
立山曼荼羅は、立山信仰を広め、立山への参詣を勧める事を目的に描かれ、布教での絵解きに積極的に用いられました。

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上の3枚の絵は、いずれも同じ場面を描いたものですが、立山曼荼羅には、元にした縁起によっていくつものバージョンがあるため、そのバージョンによってこのような違い(例えば、1枚目と2枚目は阿弥陀如来の横に不動明王がいるが3枚目にはいない、有頼少年の服装は1枚目では鎧姿で2枚目では狩衣で3枚目では衣冠、有頼少年の頭髪は1枚目では既に剃っており2枚目では剃っている最中で3枚目ではまだ剃っていない、など)が生じています。

 

下の写真2枚は、雄山を登拝した翌日、山麓の立山博物館で見学してきた、同博物館内に実物大模型で再現されていた「玉殿岩屋」です。

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