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2009年8月

2009年8月25日 (火)

青函トンネル開業記念下敷き

今から約21年前の昭和63年3月13日、北海道と本州を海底下で連絡する、総延長53.85kmの世界最長のトンネル「青函トンネル」が開業しました。
青函トンネルは、昭和29年の洞爺丸海難(洞爺丸を始めとする青函連絡船5隻が台風により沈没し乗客・乗組員合わせて1,430名が死亡した事故)以来、全道民がその完成を悲願としてきたトンネルで、24年間という長大な工事期間と、総工事費約6,900億円という膨大な資金、そして延べ人員約1,400万人という膨大な作業員を投入して、国家を挙げての超巨大プロジェクトとして建設が進められたトンネルでした。

その青函トンネルの開業当時に製作され、今でも私が大切に保管しているのが、以下の下敷きです(上段が表面で下段が裏面です)。

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下敷きの表面に記されている「青函博」というのは、青函トンネルが開業した昭和63年の7月9日~9月18日にかけて、青森市と函館市の両会場で開催された「青函トンネル開通記念博覧会」の事です。

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2009年8月 3日 (月)

三笠市内で炭鉱の坑口跡周辺を散策

先日、札幌から高速道路を使って1時間程の距離にある、空知管内の三笠市(かつては炭鉱で大いに栄えた街でしたが、相次ぐ閉山で人口が激減し、現在の人口は僅か11,000人)に行って、同市内にあった幌内炭鉱(平成元年に閉山)や幾春別炭鉱(昭和31年に閉山)の産業遺跡を散策してきました。

幌内炭鉱は、明治時代前期から戦後の復興期まで日本の産業を支え続けてきた、歴史的に重要な炭鉱の一つで、現在、坑口跡・選炭機跡・変電所・神社・ズリ山など往時の隆盛を物語る炭鉱関連施設が点在している跡地の一部は「幌内炭鉱自然公園」として整備されています。
しかし、整備(施設や散策路の整備、説明版の設置、草刈や清掃など)よりも風化のスピードのほうが早く、施設の多くは草木に埋もれたり崩壊するなどして急速に自然と同化しつつあります。

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上の写真は、明治12年に開拓使が炭層に向かって開削した、幌内炭鉱の中では最古の坑口とされる音羽坑(おとわこう)です。北海道最古の坑口でもあり、この坑口から伸びるレールは、北海道で最初(全国では3番目)に開通した鉄道として知られる、幌内~手宮間を結ぶ幌内鉄道の幌内駅に繋がっていました。
なお、この坑口に限らず三笠市内に現存する各坑口の入口は、炭鉱が閉山した後、全て厚さ2~3mのコンクリートで入口が塞がれており、坑道内に立ち入る事は二度とできない状態になっています。これは、坑道から水やガスが噴出するのを防ぐためと、閉山により拠出される交付金を受ける条件として坑口を埋める事が含まれていたためです。

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上の写真2枚は、どちらも明治13年に開坑した常盤坑(ときわこう)の坑口で、上段の坑口が本卸(ほんおろし)坑で、下段の坑口が副卸(ふくおろし)坑です。
開坑から70年後の昭和27年、石炭運搬系統の合理化を図るため、本卸坑はベルト斜坑に改修され、深さ-750の坑底から採掘された石炭は、斜度13度の角度で連なる総延長2,720mのベルトコンベアーで坑外の選炭場まで搬出されました。

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上の写真は、常盤坑の2つの坑口の間に鎮座している、坑口神社です(写真右側の坑口は本卸坑です)。
会社の繁栄と坑夫の作業安全を祈願して、幌内炭鉱を運営していた北炭(北海道最大の炭鉱会社でした)が建立した神社で、山の神様として知られる大山祇神(オオヤマツミノカミ)様がお祀りされています。
こういった神社は、北炭の各炭坑に建立されていたと思われます。

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上の写真は、明治13年に開坑した、幾春別炭鉱の錦坑口です。
赤レンガ造りのこの重厚な坑口がある場所も三笠市内ですが、幌内炭鉱からは少し離れた所にあり、三笠市立博物館裏手の遊歩道(森林鉄道線路跡)から沢に向かって降りて行くと到達する事ができます。
コンクリートで厳重に閉鎖されているはずの坑口からは、硫黄臭のする水が今も流れ出ており、この写真では少々分かり辛いですが、水の流れている沢の周囲は硫黄で白く変色しています。
そのため坑口の近くはかなり硫黄臭いです。

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