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2008年8月22日 (金)

九州と朝鮮半島を連絡する、幻の対馬海峡横断海底トンネル

日中戦争のさなかの昭和10年代後半、「日本と大陸との間に画期的な新交通路を開くべき。東京~下関間に、在来線(従来の狭軌)とは別に新しい鉄道(標準軌)を建設して最高時速200km以上の高速列車を走らせ、更に九州と朝鮮半島を海底トンネルで結び、東京と大陸の主要都市(とりあえずは北京を想定)を直通の高速列車で結ぶべき」という、所謂「弾丸列車計画」が持ち上がりました。

これは、当時、日本国内の輸送力が決定的に不足していて、特に陸上輸送の大動脈というべき東海道・山陽両本線の酷さは目を覆うばかりで、戦時中の輸送力不足はそのまま敗戦にも繋がる大問題とされたために持ち上がった計画で、計画では、下関から先は佐賀県まで南下して、同県唐津付近から対馬を経て韓国の釜山へと入り、釜山からは既設の標準軌の路線に乗り入れて漢城などを経由して北京へと至る、とされました(下の地図参照)。

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一見夢物語のようにも思える壮大なプランですが、しかし、この弾丸列車計画のうち「新幹線計画」と呼ばれた東京~下関の新線建設については、昭和15年3月、第75回帝国議会で5億5000万円に上る予算が成立し、工期は15年で建設するとされ、実現へ向けて既に第一歩を踏み出していました。

東京~下関間約1000kmの所用時間は9時間、東京~大阪間は4時間半とされ(昭和5年頃、在来線では約8時間20分もかかっていました)、始点と終点を含めて19の駅を設ける案が採用され、実際、昭和16年には新丹那トンネル、日本坂トンネル、新東山トンネルの建設工事も始まりました。
そして、空中写真測量を行うなどして昭和18年3月までに、全線の約8割に及ぶルートが決まり、用地買収も約160km分まで進んでいたのです。また「弾丸列車」用の高速高性能機関車(直径2.3mの巨大な動輪を持つ蒸気機関車HD53や、HEH50などの電気機関車3種、計8種類)の設計や、客車の基準寸法の調査なども行われていました。

この「弾丸列車計画」は、戦争の激化によって結局頓挫する事になりましたが、しかしこの時行われたルートの選定、技術開発、用地買収、トンネル工事などは、東海道新幹線の建設にそのまま役立つ事になり、東海道新幹線の路線の約18%に当たる100km分は、弾丸列車計画時に買収された用地を利用しています。
また、東海道新幹線の起工時点で、「弾丸列車計画」の一部として建設されていた日本坂トンネル(2174m)は既に貫通しており、新丹那トンネル(7958m)も熱海側647m、函南側2080mが掘削済みで、これらのトンネルは東海道新幹線の路線の一部としてそのまま転用されました。

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ところで、弾丸列車計画を進める上で最も大きな障害の一つと考えられていたのが、高速列車をどのようにして、九州と朝鮮半島とを隔てる海峡を横断させるかという問題で、当初は連絡船での輸送が予定されていたのですが、やはり列車を直通させるためには海底トンネルの建設が不可避と判断され、このため対馬海峡の海底トンネルについては、測量やトンネル掘削法の研究、一部地区での地質調査も行わました。
ただ、佐賀県唐津付近~対馬までの対馬海峡(東水道)については技術的にも通常の海底トンネルの掘削が可能とされたのですが、水深200mを超える対馬~釜山間の対馬海峡(西水道)54kmについては、通常の海底トンネルの建設は困難とされ、そこで考えられたのが、上の図のように、海底に橋梁をいくつも並べてトンネルを建設するという案でした。

しかし、魚雷攻撃を心配した陸軍の反対もあって、結局はこの区間にも通常の海底トンネルを建設する計画案が採用されました。勿論、現在に至るまで実現はしていませんが。

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