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2008年3月

2008年3月21日 (金)

平福トンネル開通式

昨年の11月、札幌市西区内の平和と福井の両地区を結ぶ「平福トンネル」の開通式が行なわれ、私も、勤務先がすぐ近くにある事などから式に参列させて頂きました。
以下の写真が、当日の開通式の様子です。短いトンネルながらも、その割には派手な開通式だったかもしれません(笑)。

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ところで、平福トンネルが造られた、平和と福井とを最短で結ぶこの「平福線」という道路は、実はちょっと変わった経緯を持った道路で、この道路は、道路開削の演習のため、昭和41年に陸上自衛隊第11師団の45名によって僅か45日間の突貫工事により開削されました(延長1.3km)。
平福線の開通によって、平和と福井は西野二股を経由せずに結ばれるようになり、近年は特に南区と手稲区のバイパス路線として交通需要量が高まりつつあったのですが、しかし、元々自衛隊の演習のために造られた道路である事から急勾配や急カーブが多いなど、道路状態はあまり良くなく、しかも山間部を走るため路線延長は1.5kmにも満たないにも拘わらず冬季は通行止めになるなど、重要なルートである割には必ずしも利便性の高い道路とは言えない面もありました。

そのため、南区と手稲区を結ぶバイパス道路としての機能を拡充させ、それによって西野二股の交差点付近での交通渋滞を緩和させ、そして通年通行を可能とさせるため、平成10年より平福線の本格的な改良工事が行なわれてきたのです。
そして昨年11月、平福線最大の急勾配や急カーブを避けるため建設されてきた平福トンネルがついに開通し、これにより平福線の道路改良事業は一通り終了した事になります。

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上の写真は、開通式の直後に行われた、車による「渡り初め」です。

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2008年3月14日 (金)

青函トンネル

昨日(3月13日)で、青函連絡船の廃止と青函トンネルの開業から丁度20年が経ちます。
その当時、私は中学1年生でしたが、テレビのニュースや新聞の報道などを見て、青函連絡船の廃止に郷愁を感じ、青函トンネルの開業に興奮したあの時の感覚は、今も鮮明に覚えています。
下の写真は、青函トンネルの本坑が貫通した直後の様子(昭和60年3月10日)です。

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明治41年の「比羅夫丸」就航以来、航海数70万回、地球2千周に匹敵する距離を走り続け、1億6千万人の旅客と2億4千万トンの貨物を運んできた青函連絡船も、青函トンネルの開業によってついにその使命を終える事になり、昭和63年3月13日、多くの人々に惜しまれながら80年の歴史に幕を閉じました。
そして、同日、北海道民の長年の悲願であった青函トンネルが開業し、北海道から鹿児島までが初めて鉄路により連結されました。
この日の午前7時23分、北海道と本州を結ぶ一番列車(函館発・盛岡行特急「はつかり」)が函館駅から超満員で発車し、青函の新時代が幕を開けたのです。

世紀の大建築物である青函トンネルは、北海道民が開業を長く待ち続けた、私達道民にとっては思い入れの強い特別なトンネルです。
青函トンネルの開業は、青函連絡船「洞爺丸」の沈没事故以来、全道民の悲願であり、総工事費約6,900億円、作業員の延べ人員約1,400万人、使用したセメントの量約85万トン(セメント袋を積み上げると富士山の850倍)、掘った土砂の量約630万立方メートル(霞ヶ関ビル12.1杯分)、工事期間約24年間という、国家を挙げての超巨大プロジェクトとして建設が進められました。
開業して丸20年が経った今でも、総延長53.85km(東京の山の手線一周半に相当する距離です)という世界最長海底トンネルの記録は未だ破られておらず、私は(これは大袈裟な言い方でも何でもなく)、青函トンネルは“人類の叡智の結集”であると思っています。

また、24年間もの歳月を要した青函トンネルの建設現場に於いても、様々なドラマが展開されました。
世界最大・最長の海底トンネル建設という、世界初の試みであるが故に、工事は幾多の試練と挫折を繰り返しながら進められ、何度もの異常出水にも遭い、特に昭和51年5月に発生した瞬間最大毎分85トンの大出水では、作業坑が3km、本坑が1.5kmにも亘って水没し、現場の作業員達がトンネル全体の水没を覚悟した程でした。

青函トンネルが他の山岳トンネルと大きく違う点は、海底下に建設された長大なトンネルであるため、トンネルへの湧水の源が海という無限の水源である事で、トンネルの掘削中に万一出水に遭うと、大事故に繋がる恐れがあり、場合によっては青函トンネルというプロジェクト自体をも左右する事態にもなりかねず、そのため青函トンネルの工事現場では、注入工法や吹付けコンクリート工法など新たな技術が考え出されました。結果的に、青函トンネルの建設は日本のトンネル掘削技術の発達に大きく貢献したのです。
しかし、それでも前代未聞のこの大工事が極めて危険な作業であった事には変わりなく、青函トンネルの建設工事では竜飛側で18人、吉岡側で16人、合わせて34人もの作業員が殉職しています。青函トンネル開業の陰で、34人もの尊い人命が犠牲になった事を、私達は永遠に忘れてはいけません。

青函連絡船や青函トンネルに対する道民の思いを本州の人に伝えるのはなかなか難しいのですが、宇高連絡船の廃止と瀬戸大橋の開業を体験した四国の人々には、この感覚が理解して戴けるかもしれません(笑)。
タイタニック号の沈没に次ぐ世界第二の海難事故とされる青函連絡船洞爺丸の沈没が、青函トンネル建設の機運を一気に高めたのと同様、洞爺丸の沈没に次ぐ世界第三の海難事故とされる宇高連絡船紫雲丸の沈没が瀬戸大橋建設の機運を一気に高めたという点でも、両者は共通しています。多くの犠牲者を出したという意味では、これは不幸な共通点と言うべきかもしれませんが…。

ところで、あまり知られていない事ですが、本坑が一本しかない一般の山岳トンネルと異なり、青函トンネルの海底には、本坑(列車が走るトンネル)の他に、先進導坑(海底の地質や水の出方を調査したり施工方法の検討や開発をするため、本坑よりも先行して掘られたトンネルで、現在は排水と換気のために使われています)や作業坑(常に本坑より先回りして連絡誘導路を造りながら、本坑と平行して掘られたトンネルで、機械・資材やズリを運ぶ役目を果たし、現在は保守のための通路として使われています)があり、その他にも、海底部以外では立坑や斜坑なども掘られており、青函トンネルは本坑を中心に複雑に何本ものトンネルが入り組んでいます。

残念ながら近年は、航空機や海運との競争激化で、青函トンネルを走る列車の輸送人員や輸送貨物量は減少傾向にありますが、平成27年の開業を目指して今年からは青函トンネル内に於いて北海道新幹線の工事が本格化します。新幹線が青函トンネルを走るようになると、20年前の開業時のように、再び青函トンネルが大きく脚光を浴びる事でしょう。

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上の写真は、今から十数年前に青函トンネルの見学会に参加した時に、当時の吉岡海底駅のホームから撮影した青函トンネル本坑(海峡線)です。
現在は在来線の列車しか走っていませんが、今年からはこの路盤に新幹線用のレールを敷設する三線軌道化の工事が始まり、将来はここを新幹線が走るようになります。

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上の写真3枚は、いずれも見学会の時に青函トンネル内で撮影してきた写真ですが、どれも本坑とは別の坑道で撮影したものです。青函トンネル内にはこういった坑道が沢山あり、案内の人がいなければ間違いなく迷います(笑)。
なお、3枚のうち一番上の写真ではレールが敷設されていますが、これはあくまでも作業用の軌道ですから、ここを本線の列車が走る事はありません。

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2008年3月13日 (木)

ブログを開設致しました

今日は、日本が誇る世界最大・最長のトンネル「青函トンネル」の開業記念日です。
津軽海峡の海底下を横断して北海道と本州を陸路で連絡している青函トンネルは、丁度20年前の今日(昭和63年3月13日)、開業したのです。
これを記念して、あえて今日というこの日を選んで、トンネルについてのブログを始めようと思います。

私は、トンネルや土木に関してはその道の専門家でも業者でもなく、ただの一介のド素人に過ぎないのですが、なぜか昔からトンネルが好きで、トンネルを見るとまるで引き寄せられるかのようについその中に入ってしまう、そんな奇人です(笑)。そんなトンネル好きの私が、トンネルについての思いを思いつくままに綴ろうと思い立ち、このブログを開設致しました。

私は北海道の札幌に住んでおりますが、道外へはよく旅行に行きますので、旅先で見たトンネルや、また、過去の旅行で見た印象に残ったトンネルについても、このブログで取り上げていきたいと思っております。
今後も宜しくお願い致します!

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